にし先生との思い出

にし研卒室生の1人として、これは書かねばならない。



我が恩師であるにし先生が急逝されたので、
──いつもテストとか品質とかと全く関係ない話ばかりしているこのブログで本当に申し訳ないんだが──
先生との思い出を、徒然なるままに綴っていく。
ASTER-【訃報】



豆腐さんの投稿を見て、私も真似させていただくことにした。
https://yoshikiito.net/blog/archives/nishisan

(「豆腐ってあだ名を使うのはほとんどにしさんだけ」と上記投稿にあったが、にし研の学生は大体豆腐さんって呼んでる。会ったこともねぇのに。にし先生が研究室の学生に「こいつの名前は豆腐」って言うせいである。)




にし先生を初めて観測したのは大学一年生の時。先生は基礎科目「コンピュータリテラシー」の指導担当だった。
ASTERのお知らせに「講演の時間ガン無視でヒヤヒヤした」みたいなことが書いてあったが、大学の講義もそんな調子だった。これが大学の先生という生き物かぁなんて思ったが、ただ単ににし先生の習性なだけだった。

にし先生は、「この大学は普通の大学ではない、マッチョなエンジニアを育成する大学だ!」とか、「マッチョなエンジニアはHHKBを持ち歩くんだ!」とか言っていた。
当時辛うじてピュアな部分を残していた私は、先生の言うことを鵜呑みにして、なけなしのバイト代でHHKBを買ったのだった。



一年次の講義で先生のファンになっていた私は、にし先生のトークショー目当てで、二年生の時に「品質管理第一」を受講した。
講義をメモったノートが残っているので、ここに転記してみる。

サイバースナイパー(ソフトバンクの通信障害は証明書の期限切れ)
エストニアはお役所仕事をIT化
最低三回は転職する
勉強会・ミートアップで、他の会社で何をやっているのかを知る→リファラル採用
組織能力が低い組織は保持している技術を生かせない
フェイル・ファースト(早めに失敗)

これ何の授業だよwwwww

にし先生は、手加減を知らない人だった。常に全力フルスイングで、自分の持っている情報・知識・知見・その他諸々を提供してくれたのだ。その結果がこのノートということになる。
正直当時の私如きじゃあ一割も理解できてなかったんだろうけど。

一応TQMとかの話も講義で扱って、私は品質管理に俄然興味を抱き始めるのだった。

まぁ講義の大半が上記のような雑談なので、時間無くなって「このスライドに書いてあること試験で出すよ。半分ぐらい話せてないから、ごめんけど自分で勉強してきてね」とか言い出す始末だったワケだが。



次に先生に会ったのは三年次の「ソフトウェア工学」の講義である。
今でも覚えている。講義の中で、こういう問題が出た。あなたは、大学でアルゴリズムとかの研究をしていたコンサルタントです。オフィスビルの管理人から、「エレベータの待ち時間が長いとクレームが来て困っているので、アルゴリズムをいい感じにして欲しい」と相談を受けました。どうすればいいか、周りの人と相談してみよう。
当時すでにひねくれ者になっていた私は、周りがエレベータの最適アルゴリズムについて議論する中、ディスプレイでも設置してYouTube流すか?サラリーマンは株価とかニュースとかの方がいいのか?お金かけないならルービックキューブでも置いとくか?とか考えていた。
先生が教室をフラフラしながら「いいアルゴリズムだねぇ!」とか言っている。私のところに来た。「君たちはどういう議論をしているんだい?」「はい、ディスプレイを置いてYouTubeでも流してやろうかと考えていました!」
先生は眉をひそめてこう言った。「君たちさぁ、情報系の学生としてのプライドとか無いの!?」

研究室配属を目前に控えた時期だった。にし研に志望出そうかな~なんて考えていた私は、焦りに焦った。「第一志望変えるか……」
上の空の私。講義を進める先生。あいつらはこういう提案をしていた、こっちのやつはこんな感じ、みんないいね~。そんな話をしている。「ところが。」先生はこう言って、私のところにスタスタ歩いてきた。「立て。」

あ~~~終わった。帰りたい。もう来週からこの授業受けるのやめよう。あの時の私は、きっと死んだ目で立ち上がっていたことだろう。「君たちの意見を言いなさい。」「あのー、ディスプレイにYouTubeとかをですね……株価とかニュースとかの方がいいかな、ハハ……」

「おめでとう君が正解だ。」

フリーズする私。ガッと握手してくれた先生。鬼のように焦ってたから手汗がヒドかった気がする。ゴメンね先生。
要するに「顧客が本当に求めているもの」とか「問題の本質は何か」みたいな話だったのだ。あー怖かった。
怖かったけど心の底からこう思った。「にし先生の講義マジおもしれー!」(元ネタ)



ということで私は無事にし研に配属志望を出した。配属志望を出すだけで「無事」とか言わなくちゃいけない辺りが本当にし研って感じする。
にし研へ配属志望を出した学生は、にし先生からの面接を受ける。私はドキドキしながら先生の居室のドアを開いた。

そこには、ThinkPadの外付けキーボードを叩くにし先生がいた。

HHKBじゃあないんかい。




そんなこんなで、私はにし研に配属された。



にし研は、「サービスってハードウェアじゃないよね。ってことはソフトウェアだよね。サービスにおけるクレームをソフトウェアのバグだと思えば、クレームを減らす手法とか作れるんじゃあないかな?」みたいな研究を真剣にやっているトンチキな研究室だった。

にし先生のせいで、世の中の全てをソフトウェアだと思うクセが付いてしまった。
挙句、私は現職で「eラーニング教材をソフトウェアだと思って、教材の間違いやわかりにくいところといったバグを減らそう」みたいなトンチキなことをやっているし、
このブログでは趣味として「漫画原作などを始めとした物語をソフトウェアだと思って、面白くないところといったバグを減らすための方法を考えてみた」みたいなトンチキなことを書いている。
トンチキがために、他社の事例などがほとんど無く、手探りで色々試すしかない現状が非常に楽しかったりする。そんなことに夢中になっているのは大体にし先生のせいである。



にし研は賢くなれる研究室だった。抽象度の上げ下げ・ロジックの進め方・目的志向・5ゲン主義・etc、人生の助けになる考え方をたくさん教えてもらった。
先生はことあるごとに「にし研では、社会で役立つことしか教えねぇんだ」と仰っていた。

ゼミの中で、言っている本人もよくわからないで使っている単語、例えば「○○を整理しようと思ってて~」とか「○○な傾向があって~」とかを、「整理するってどういう意味?」「傾向って具体的に言うと何?」とズバズバ切り伏せていった。

そんなところに二年間も居たから、現職のミーティングでウズウズして仕方がない。「うわーっ、抽象度がバラバラな資料だ。Howの話ばかりでWhatの話が永遠に出てこねぇなぁ。う~~っ、『考える予定って、具体的に何をされるおつもりなんですか?』とか訊きてぇ~~ッ。」
というか我慢しきれなくて時々言っちゃってる。そしたら、理解ある同僚から「その賢い頭脳をお借りしたくて」と頼られることも増えてきた。これもにし先生のせいである。



にし研は、研究とか勉強とかだけをやっていればいい、というようなところではなかった。n人でn個の研究テーマを、みんなでワクワクしながらやろう、というところだった。チームビルディングとか自己組織化とかの難しさを身をもって体験できた。

そういえばこんなことがあった。ある日、私は先生とサシでzoomで話していた。確かちょうどそのころ、我々は研究室のチームビルディングに苦戦していたのだった。
先生はこう言った。「先輩を含めたみんなをお前が引っ張るのがどう考えたってベストだろうが。お前そういうの向いてるんだから。そういう星の下に産まれてるんだ、諦めろ。」
私はしぶしぶ"諦めて"、研究室の牽引役のようなものをやりだした。進捗が芳しくなくてSlackを動かせていない人が居たら、同期・先輩・後輩を問わずフォローした。論文の要旨が書けなくて苦戦してる人が居たら、同期・先輩・後輩を問わず手伝った。二年間で何枚の要旨を書いたかわからない。同期の15分かかる発表原稿を、発表時間の7分に収まるよう徹夜で添削したこともあった。当時のメンツの中で、私が一番牽引役に向いていて、私が一番執筆能力の高い学生だったのだから、仕方ない。

そういう姿勢が染みついてしまったものだから、現職でも何でもかんでもやる人になってしまった。部長さんにそういう姿勢が気に入られてちょくちょくご飯に誘ってもらえている。これもにし先生のせいである。



にし研生活が一年半ぐらい経つと、ゼミ中に先生が「この後オレは何て言うと思う?」などと聞き出すことが増えてきた。
「え……っと、『具体例は?』ですかね……」「いいね~~、お前も脳内に『イマジナリー・にし先生』ができてきたな!」
もはや洗脳の域である。今も私の脳内にし先生は「問題を見ろよ」とか「常に対比で考えろって」とか言ってくる。今思えば、卒業しても一人でがんばっていけるように鍛えてくれていたのだろう。
学生時代とほぼ変わらぬ思考能力を発揮し続けられているのも、にし先生のせいである。



にし先生のせい、を言い出したら、そもそも品質管理/保証・ソフトウェアテスティングといった分野に夢中になっている現状がそうか。




にし研は本当に楽しかった。もう一度やりたいかと言われればNoなんだけど。本当に本当に楽しかった。




基本的に、最終的な意思決定者は自分だからという理由で、HHKBを推してた割にThinkPadの赤乳首信者だった時も、先生の助言に従って12月に卒論テーマ変えたら成果不足で留年した時も、私は先生に文句を言いたいと思ったことは無い。
でも今回だけは文句を言わせてほしい。

にし研のOB/OG一同で先生に弔電を出すことになり、そういう星の下に産まれている私は弔電の取りまとめ役を買って出た。卒室生たちの「弔電にこういうことを書いてほしい」という要望を聞き入れ、一部泣く泣く却下させていただきつつ、いい感じに仕上げたのだ。
人生初の弔電がにし先生宛になるとは思っていなかった。

深夜にSlackを動かしがちな私に先生は、「夜は寝ろ」「健康第一」と何度も言ってくださった。
先生本人は、学会に参加したり学生の進路相談をやったりで、深夜稼働が多かったのを我々は知っている。体調を崩しているのに進路相談を変わらず行っていたらしいと、お亡くなりになられた後に聞いた。

文句を言いたいので、先生、また話しましょう。




先月JaSST nanoで私が話した内容を、先生はどうやらチェックしていたようである。後輩曰く、「あいつがこの間VSTePの説明をしていた」と言っていたそうな。
「説明下手だなぁ」とか「適当言いやがって」とか思われていたのかもしれないが、まぁ色々やっているよというところは見せれたようで、私は幸運である。

二周目の学部四年生のある日に先生が(研究のデータを見て)言った「お前面白いことやってるなぁ!」という台詞を、卒業式の日に先生が言った「よくがんばった」という台詞を、いつかもう一度聞きたいものである。
にし先生から習ったQAを、一生やり続けていきますよ私は。




取り留めのない文章になってしまったけれど、無限にダラダラと書いてしまいそうなのでこの辺で終わりにしておく。それほどまでに多くのことを学ばせてもらったのだ。薫陶などという一単語ではとても片づけられない。
私の脳内イマジナリーにし先生は「オチを付けろ」と言ってくるが、まぁ放っておこう。

にし先生、お疲れさまでした。先生のことですから、VSTeP2を出せなかったことよりも現にし研生の指導を最後までできなかった方を悔やんでると思うんですが、まぁ我々で色々フォローしておきますから。ゆっくりaikoでも聴きながらアイスでも食べててくださいな。