鬼滅の刃は何故成功して何故終わったのか

本記事は、もともと別アカウントで2020/05/30に投稿した記事を移行したものです。

はじめに

本記事について

鬼滅の刃」は何故あんなに面白く、何故あんなに売れたのか?
そして、あんなに売れた/売れてるんだから、どうにか頑張ってもう少し続ければよかったのに、何故終わったのか?

……を分析してみよう。そういう記事です。
色々要因はあると思いますが、取り敢えず「キャラクター表現」という観点から見ていこうと思います。

目次

要約

  1. 鬼滅の刃は物語創作の基本に忠実だったから売れた。特に「固定化とギャップ」という風に私が勝手に呼んでいる基本については特筆に値する。
  2. そして、「固定化とギャップ」によるキャラクター表現の限界を迎えたので連載が終了した。

主張

1. 「固定化とギャップ」を徹底的にやっているだけ

固定化とは?

ここでは、「このキャラはこういうヤツ」と読者に示して、それを繰り返す作業のことを指す。

ギャップとは?

ここでは、固定化した面と正反対の部分を見せることを指す。

「固定化とギャップ」って、具体的には何をやってるの?

鬼滅の刃は、以下の流れで「固定化とギャップ」を行っています。キャラクターの描き方はワンパターンなのです。

  1. 「このキャラはこういうヤツ」を分かりやすく示す。
  2. 1で示した性格を徹底的に描く。
  3. 正反対の面を一回だけ見せる。

ポイントは、「ただギャップを見せれば良い」のではなく、「最初に固定化をする」必要がある、という点です。そしてこの「固定化」を徹底的に、本当に徹底的にやったことが、鬼滅が売れた要因の1つだと考えています。

2. キャラクターについて描写しきってしまったから連載が終了した

「固定化とギャップ」をやり続けた結果、とっても魅力的なキャラクターが作れたし、その魅力を読者のみなさんに示すことができた。

でもどうしよう?全てのキャラクターを紹介し尽くしてしまったので、この後やることがもう無い!

  • キャラクターの同じような面を描写し続けても、「それはもうわかったよ、予想が付くからつまらないなぁ」と飽きられてしまう
  • かと言って全然異なる面を出したら、せっかく固定化したキャラクターがブレてしまって、読者のみなさんを「こんなの私が好きだったあのキャラじゃない」と失望させてしまう
  • 新しいキャラを出す?そういう小手先の対症療法は「引き伸ばし」と言われ嫌われる。

もう連載を続けられない!

よく言えば、鬼滅の刃は「作品として完成してしまった」のです。だから終わったのです。

実例

1. 嘴平伊之助 ~「固定化とギャップ」のお手本~

1. 「このキャラは野生児キャラ」であると示す。

(以下、きっと吾峠先生はこんな感じで考えたんだろうなという妄想)
そもそも野生ってなんだ? 文明を持ってなくて、ある種無慈悲で、現代(というか大正時代)の人間ではないもの、とかか。
じゃあ、顔は人間じゃないヤツにしよう。よし、イノシシの頭を被らせよう。
(妄想終わり)
てな感じかどうか知らないが、こうして「イノシシ頭の野生児キャラ」が完成します。伊之助は見るからに野生児……というか、「野生の権化」みたいなキャラデザをしています。

2. この「野性味」を徹底的に描いていく。

  • 野性味と言えばこういう感じ → それをこう描いた

のフォーマットで、どうやって固定化を行ったのか列挙してみます。

  • 野生動物は、悩んだりしないで目的に一直線に走っていく → 「猪突猛進」と叫びながら猪突猛進させる。
  • 野生の肉食動物は、獲物を見つけたら容赦なく狩る → 鬼を見つけたら即斬りかかる
  • 本来人間が持ち合わせているような社会通念は無い → 「埋葬」の概念を理解できなかったり、炭治郎に「人を踏みつけにするな!! こんな小さい子を踏むなんてどういうつもりだ!!」と言われたり
  • 食事が必死 → 人の食べ物を奪ったり、食べ方が汚かったり

これらは全て、第21話(伊之助初登場)から第27話で描かれた伊之助の特徴です。登場初期の場面でこれだけの特徴を描写して、「野生児キャラ」を固定化したのです。
さらにこの後のストーリーでも、同じように「野性味」を表現したり、上記の特徴を繰り返し描いたりして、「伊之助は野生児キャラである」ことを、読者の意識にこれでもかというぐらい徹底的に"固定"していきます。

そして、

3. 正反対の面を一回だけ見せる

第160話にて、上弦の弐である童磨が伊之助に語りかける形で、伊之助の母親について描かれます。自分の母親のことを思い出した伊之助は「涙を流し」、童磨を斬って「母親の敵討ちをしようとし」ます。

「野性味どこ行った?!」
亡き母を思って涙を流すなんて「野生」のイメージからは程遠いし、野生の世界にも親子愛はあるかもしれないけど「敵討ち」はめちゃくちゃ人間臭い行為じゃないか?

このシーンの伊之助は、「野生児」としてではなく「人間臭くて情に厚い人物」として描かれています*1。イノシシの被り物も童磨に取られ、「人間の素顔」を晒しています。伊之助が泣くシーンはいくつかありますが、このシーンは「人間の素顔」で「ヒトとして」泣いた(たぶん)唯一のシーンです(イノシシ頭を被った状態では数度泣いています)。

これがもしも、「しょっちゅう人間臭い一面を見せる」風に描いていたら、伊之助はどっちつかずのキャラクターになってしまい、読者が「母親の敵討ち」というギャップに感動することは無かったでしょう。だから伊之助はほとんど常にイノシシ頭を被っていたし、外さざるを得ないシーンではなるべく「汚く食べる描写」を入れるなどして"野生アピール"に余念が無かったのです。
気になる方は、伊之助が素顔を見せているシーンを探してみてください。あいつ大抵食い散らかしてますよ。遊郭編を除いて……*2

4. キャラクターとして完成した

まぁそんなこんなで、伊之助は「野生児なんだけど時々人間臭いところも見せるキャラ」として完成しました。ここから彼を描くのは簡単です、「野生だけど人間」って描写を繰り返せばいいのですから。例えば炭治郎が鬼舞辻のせいで鬼になってしまったシーンも、そうやって描写されています。

  1. 炭治郎を斬ろうとする(野生児)
  2. しかし仲間だから斬れない(人間臭い)

しかしこのレベルに到達すると、一つの問題が生じます。読者がキャラクター「伊之助」を完璧に理解してしまったということです。
厳密にいうと、理解してもらうことはいいことなんですけど、「伊之助はどういうキャラなんだろう」という疑問が解決してしまった点が問題なのです。疑問がないということは興味がないということになり、伊之助を使って読者の興味を惹くことはもうできなくなってしまったのです。

脱線注意報

この記事を読んでいる人(想定)「そういえば伊之助には、「実は素顔が美少年」ってギャップもあったなぁ。あれも同じように、面白さを作るための工夫だったのかなぁ。」
うーん、あれはギャップというよりは……(長くなるので注釈へ。興味あればどうぞ)。*3

2. 我妻善逸 ~「ビビリ系キャラ」の動機付けがうますぎる~

1. ビビリなキャラだと示す

ビビリだからすぐ逃げ出す、と固定化しています。

さぁここで問題発生。逃げ出すキャラだから、ストーリーの都合上戦闘の必要がある時でも戦ってくれないのです。戦わせると固定が緩んでしまいますが、逃げてしまうとお話が進まない。*4
ということで善逸は、戦うとき気絶するキャラクターになりました。本人の意思の外で戦わせることで、固定が緩まないように工夫しているのです。これはうまい。

2. 「ビビリですぐに逃げ出すキャラ」と固定化

固定化…できればいいんですけどね、そのまま固定化しようとすると、何もしてくれなくてお話が進まなくなります。訓練はやりたがらないし、任務にも行きたがらないワケですから。*5

さて、どうやってこの問題を解決したのか?

答えは、「善逸の中での優先順位をはっきりさせた」、です。
善逸の初登場シーンを見てみましょう。彼、なんて言って登場したか覚えてますか?

善逸「頼むよ!!」「頼む頼む頼む!!結婚してくれ」「いつ死ぬかわからないんだ俺は!!だから結婚してほしいというわけで!!頼むよォーッ」

これはうまいですよね。「結婚してくれるなら頑張る」みたいな展開が目に見えます*6

つまり、善逸を「ビビリなんだけど、自分の安全より女の子の方が優先」というキャラクターにした上で、ビビリキャラとしての固定化を行っていったのです*7
そのため、彼が任務に行くときや訓練をするときには、大抵動機として「女の子のために」がありました。ビビリキャラのまま物語に参加させるためには、「女の子」が必要不可欠だったのです。
象徴的なシーンが第70話です。音柱の宇髄さんが、自分の任務に連れて行く目的でアオイちゃんたちを強引に攫っていこうとします。そこで善逸が宇髄さんに向かって言ったセリフ(と擬音)がこちら。

善逸「アアアアアオイちゃんを放してもらおうか」ガクガクガク「たとえアンタが筋肉の化け物でも俺は一歩もひひひ引かないぜ」ガクガク

「ビビリだけど女の子のためなら仕方なく行動する」善逸のキャラクターが見事に表現されています。

こうして、善逸の固定化が進んでいったのです。

3. ギャップ

鬼になった兄弟子を斬りに行かなければならない善逸は、自分の意志で戦いに行き、「眠らずに」正々堂々と勝利します。

いつも他の人に助けてもらいたがる彼が、「これは絶対に俺がやらなきゃ駄目なんだ」と第136話で覚悟を決めたり、訓練からも逃げ出したがる彼が、自分が開発した新技で兄弟子を倒したり、といった表現でギャップを作っています。

4. キャラクターとして完成した

さて、じゃあここから先も善逸を描こうとするとどうなるでしょう?
善逸はビビリキャラなんだから逃げ出さないといけません。でも読者はこう思います。「お前やる時はやる男だろ?早く本気出せよ、イライラするなぁ。」
訓練もサボろうとします。でも読者は「その内結局訓練してまた新しい技作ったり、もっと強くなったりするんだろうなぁ。予想が付くから面白くないよ。」

善逸もキャラクターとして完成してしまったため、彼を使って読者の興味を惹くことはもうできないのです。

3. 竈門炭治郎 ~ヒーロー系キャラのお手本~

さて、だんだん「固定化とギャップ」もご理解いただけてきたのではないでしょうか。炭治郎も同様に描写されていますので、見ていきましょう。

1. 「弟・妹想いで頑張り屋」と示す

妹を人間に戻すため必死に訓練して鬼殺隊に入ることで表現しています。というかそもそも論をすると、第1話は「主人公はこういうヤツ宣言」を描くことが目的のお話ですから、「第1話を読んでください」って感じ。

2. そして固定化

禰豆子のことを常に気にかけているし、「長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」とか言い出すし*8

3. ギャップ

煉獄さんが死んで、炭治郎がひどく落ち込むシーンです。善逸の言う通り、あのシーンは「炭治郎でも落ち込んだりだめかもしれないって思っちゃうことある」ということを表現したかったのです。

この記事を読んでいる人(想定)「なんだか、他のキャラクターと比べてギャップを描くのが早くないか?だって煉獄さんが死んだのって、20巻以上ある中の8巻だよ?ギャップを描いたら、キャラクターとして完成されちゃうんじゃないの?」

そうです。早いんです。吾峠先生はおそらく、わざと早めにギャップを描いていると思います。

別の基本として、「主人公は読者に共感されないといけない」が挙げられます。鬼滅の刃はこの基本にも忠実です。
炭治郎の場合、頑張り屋さんで好かれるんだけど、正直その「頑張り」っぷりがすごすぎて共感できない、という弱点があります。
共感できます?「頑張るのとか面倒くさい」みたいなこと言う善逸の方が共感できませんか?あんなに頑張れる炭治郎はすごいなぁとか思っちゃいます。
つまりこの、「ちょっとスゴすぎて共感できない」というのが、キャラクター「炭治郎」の弱点なのです。そこで、早めにギャップを描くことで、「炭治郎でも落ち込む」んだな、と読者との共感ポイントを作ったワケですね。

4. キャラクターとして完成した

さて、共感できるようになったのはいいけれど、キャラとして完成されちゃった。どうしよう?
でぇじょうぶだ。周りに未完成なヤツがいっぱいいる。

「魅力たっぷりなんだけど完成してしまって読者の興味は惹けない」炭治郎と、「わからない所が多すぎて(まだ)共感できないが興味はある」他のキャラとをぶつければいいのです。
つまり、読者に抱いてもらうのは「炭治郎に対する興味」ではないのです。「我々のよく知っている」炭治郎が、他のキャラクターにどう影響を及ぼしていくのか、に対する興味なのです。周りのキャラクターにいい影響を及ぼすことで、「我々のよく知っている」炭治郎が認められていく様を見るのは気持ちがいいですから、読者のみなさんの満足感にもつながります。
象徴的なシーンが、義勇さんが錆兎のことを話すシーン(第130~131話)ですね。義勇さんが落ち込みまくって陰鬱としたことばかり言っている。読者はこう思います。「炭治郎、オレはお前のことをよくわかっているぞ。お前はきっと義勇さんを励ますことができるはずだ、なんとかしてくれ頼む!」この期待に、炭治郎は見事に応えました。「さすがだ炭治郎、信じてたぜ!」

てなわけで、煉獄さんが死んでから(つまりキャラクター「炭治郎」が完成してしまってから)は、炭治郎と問題あるキャラクターとのやり取りを描く、の繰り返しなのです。

私はこれ、全部吾峠先生の計画通りなんだと思っています。以下、吾峠氏の思考回路に関する妄想(再び)。

  1. 炭治郎に対する共感を得るために、煉獄さんを使って炭治郎を落ち込ませよう(ギャップを描こう)
  2. でもギャップを描くと、もう炭治郎自体に対する興味が失われる
  3. ならば、問題あるキャラクターと炭治郎とをぶつけて、炭治郎がその「問題」をどう解決するか?に興味を持たせよう
  4. となると、ここから先は炭治郎だけではダメで、「問題」を抱えているキャラクターが何人か必要になる
  5. そして、問題を抱えたキャラと炭治郎とが同時に出てくるってことは、今後は味方勢力が必ず複数人になる
  6. じゃあ、敵の方もそれ相応に強くしないといけないな。よし、ここからは上弦ラッシュだ
  7. でも同期だけで上弦倒せたら強さの説得力に欠けるから、「問題を抱えているキャラ」の多くはメチャ強である柱にした方がいいだろう

…みたいな感じかどうかはわかりませんが、柱登場 → 煉獄さん死亡 → 問題を抱えた柱たち(時透くん・義勇さん・悲鳴嶼さん・etc)が炭治郎の影響で心を開く、というストーリー(第6巻ぐらいから第16巻ぐらいまで)の流れは、全て最初のころに構想したものだったのではないかと考えています。すごいや!

そして鬼滅の場合、この「問題あるキャラクター」を登場させるときにも1つ工夫を施していて……(脱線した内容なので脚注で)*9

他のキャラはどうなの?

今回取り上げていないキャラクターについても、同様に描写されています。みんなも考えてみてね!(正直疲れた)

結論

キャラクター表現に関する基本の1つを、私は勝手に「固定化とギャップ」と呼んでいます。

  1. どういうキャラか示す
  2. 1を繰り返し行うことで印象付ける(固定化)
  3. 正反対の面を一回だけ見せる(ギャップ)

鬼滅はこの基本にすげぇ忠実。基本に忠実に作られた面白い作品のことは一般に名作と呼ばれる。鬼滅は明らかに名作だし、作品としての完成度を優先させて連載終了したのは英断だと思う。

終わりに

このキャラクター表現は、鬼滅の刃だけに限った話ではなく、あらゆる「名作」で使われています。そしてそれを実現するためのフレームワークが「三幕構成」だったりするわけです*10*11。 (2021/03/23追記: 物語のフレームワークとして三幕構成が有効な理由を考察してみました。第三幕でギャップを描くわけです。興味あればどうぞ。)
特筆すべきは基本を忠実にやりきるための工夫です。「伊之助はイノシシ頭を外している間、画面的な"野生アピール"ができない → "食べ方が汚い"という特徴で、また別の面から野生アピールしよう」とか、解決策がうまいです。勉強になります。
読んでないヤツは読め~~~買え~~~

他作品の布教

他にもキャラクター表現の基本を守った名作がたくさんあるぜ!読めオラ!!あらすじは大体Wikipediaのパクリだ!

1. 寄生獣(作:岩明均先生)

  • あらすじ……謎の寄生生物ミギーと共生することになった高校生・泉新一の数奇な運命を描く。

そして寄生獣を読み終わった後、きっとあなたはこう思う。「ミギーと伊之助は同じキャラで、新一は(本質的に)善逸と同じだ」
同じ?どういうこと?ミギーはイノシシ頭被ってないよ?
ま、読めばわかるさ……

2. ピンポン(作:松本大洋先生)

  • あらすじ……卓球に魅了された5人の高校生による、才能を巡る青春を描く。

実写映画化にもアニメ化にも恵まれた稀有な作品。
ぶっちゃけ本作のコマ割りについて語るだけで夜を明かせる自信があるが、それはまた別のお話。
読み終わった後にあなたが言うことは2つ。「最初は絵が気持ち悪いと思ったけど、すげぇ面白かった。」「ペコは炭治郎と同じキャラで、スマイルとドラゴンが伊之助だ。チャイナは……なんだろう?」
チャイナは、本質的には善逸と同じだと思ってるけど、意見が割れそうだなとも感じている。あなたの意見を聞かせてほしい。

3. 魔人探偵脳噛ネウロ(作:松井優征先生)

  • あらすじ……謎を食糧とする魔人脳噛ネウロが女子高生桂木弥子と共に、究極の謎を探すためいくつもの事件を解決していく物語。

ネウロのすごさでも一本記事が書けそうだ。いや、もう他の人が書いてるか……
読み終わった?どうだった?「ネウロは伊之助で、弥子ちゃんは善逸かな?……あれ、もしかしてこれって……」そう、ネウロ寄生獣は同じ話なのです。

スペシャルサンクス

非常な努力と工夫でもって名作を生みだしてくださった吾峠呼世晴先生
校正してくださったPさん
まだ校正してもらってないけどこれから校正をお願いしようと思っている友人N
読んでくださったみなさん


(2021/03/23追記)

本記事に関するご質問などは、私が所属する個人事業所 浮曇想作所の質問箱に投げていただくのが一番気軽かなと思います。もちろん、ホームページに記載されているメールアドレスからコンタクトを取っていただいても構いません。
浮曇想作所を、今後ともよろしくお願い申し上げます。

文責: はんすおい
協力: 浮曇非路 (Special thx: ぶんちょう)

*1:このシーンで「母に抱かれる赤ん坊のころの伊之助」を描いたのは、伊之助も私たちと同じ人間なのだ、ということを表したかったからなのではないかと思っています。

*2:遊郭編の評価が今一つである理由の一つに、「伊之助のキャラクターを活かせなかった」があると思っています。あの話は状況的にイノシシ頭被れないし、潜入捜査やってるわけだから「猪突猛進」っぷりも発揮できないし。固定したキャラクターが揺らいでしまっているんですよね。戦いが始まってからは野生味爆発してていいんだけどね。他の任務とかに行ってて潜入捜査の時には不在 → 戦闘始まってから助っ人的に合流……とかでもよかったんじゃあないかなぁ~、なんて考えてます。批判的な意味ではなくて、自分がお話を作るときには気を付けようぐらいの感覚で。

*3:「素顔が美少年」はギャップというよりお約束だと思っています。これもある種の「基本」であり、「やっぱり鬼滅は基本に忠実な作品だなぁ」と実感させられます。
顔を隠して出てきたキャラが何の特徴もない普通の顔だったら、読者は肩透かしを食らってガッカリしてしまいます。そのため、「素顔公開」は

  1. 極端にブス(この場合は、読者に嫌悪感を持たれることを防ぐため、病気や事故のせいにして同情を買うことが多い。るろ剣のCCOがそう)
  2. 極端にイケメン(呪術の五条先生)、もしくは美女(ワンパンマンのサイコス/ギョロギョロ)

のどちらかしかあり得ません。鬼滅の場合、鬼という異形の存在が居るので、「極端にブス作戦」を取っても「鬼よりは顔がキレイ」になり、中途半端ですね。ゆえに素顔はイケメン/美女である必要があるのです。
「素顔は極端に」はお約束だし、鬼滅は設定の都合で「素顔がイケメン」しかできないので、結構あっさり顔出しするんですよね。「次週、伊之助の素顔が明らかに…?!」で引っ張ったりしないワケです。鋼鐵塚さんもそうだったでしょ、吾峠先生わかってやってらっしゃると思います。

*4:ましてやあいつスピードキャラだから簡単に逃げれちゃうしねぇ

*5:実体験として、こういうキャラクターって本当に動いてくれないんですよね。それはもう問題児ですワ(宝鐘マリン船長並感)。

*6:目に見えるのでそんな展開が描かれることはありませんでした。

*7:「女好きキャラ」に関する描写も多くありますが、これは「ビビリキャラ」の固定化を助けるために行っていると考えていて、あくまでキャラクター「善逸」のメインは「ビビリ」だと思います。「女好き」に対応するギャップが描かれていないからです。

*8:このセリフわけ分かんなくて好き

*9:鬼滅の特徴として、同期や柱(=主要キャラ)を最初に全員出す、が挙げられます。同期は入隊試験の際に、柱は柱合会議の際に、全員出てきますよね。これは本作のストーリー構造上絶対必要なことなのです。
対照的な例としてワンピースを挙げます。ワンピも同じような「キャラが完成してしまっている」問題を抱えているため、同様に「問題あるキャラクターによい影響を与える」ことの繰り返しで物語を進めています。ワンピの場合は、最初に「この物語はロードムービーです」と宣言しているようなものなので、新しい「問題あるキャラ」を次々出しても違和感がありません。
しかし、鬼滅でそれをやると引き伸ばしのように見えてしまいます。ワンピは旅先で出会った人との関係を描けばいいですが、鬼滅の場合は1つの組織の中で発生している人間関係を描くワケですから、あとから「実はこういう人が居て、」と描くのは後付け感がありますよね。そういう理由で、最初にキャラクターたちを提示しておく必要があったのです。

*10:三幕構成についてざっくりとでも知りたい人はこの動画を見ればいいと思うよ。

*11:三幕構成を知ると、「だから映画化は無限列車編なのか!」って納得できて面白いと思う、たぶん。