にし先生との思い出

にし研卒室生の1人として、これは書かねばならない。



我が恩師であるにし先生が急逝されたので、
──いつもテストとか品質とかと全く関係ない話ばかりしているこのブログで本当に申し訳ないんだが──
先生との思い出を、徒然なるままに綴っていく。
ASTER-【訃報】



豆腐さんの投稿を見て、私も真似させていただくことにした。
https://yoshikiito.net/blog/archives/nishisan

(「豆腐ってあだ名を使うのはほとんどにしさんだけ」と上記投稿にあったが、にし研の学生は大体豆腐さんって呼んでる。会ったこともねぇのに。にし先生が研究室の学生に「こいつの名前は豆腐」って言うせいである。)




にし先生を初めて観測したのは大学一年生の時。先生は基礎科目「コンピュータリテラシー」の指導担当だった。
ASTERのお知らせに「講演の時間ガン無視でヒヤヒヤした」みたいなことが書いてあったが、大学の講義もそんな調子だった。これが大学の先生という生き物かぁなんて思ったが、ただ単ににし先生の習性なだけだった。

にし先生は、「この大学は普通の大学ではない、マッチョなエンジニアを育成する大学だ!」とか、「マッチョなエンジニアはHHKBを持ち歩くんだ!」とか言っていた。
当時辛うじてピュアな部分を残していた私は、先生の言うことを鵜呑みにして、なけなしのバイト代でHHKBを買ったのだった。



一年次の講義で先生のファンになっていた私は、にし先生のトークショー目当てで、二年生の時に「品質管理第一」を受講した。
講義をメモったノートが残っているので、ここに転記してみる。

サイバースナイパー(ソフトバンクの通信障害は証明書の期限切れ)
エストニアはお役所仕事をIT化
最低三回は転職する
勉強会・ミートアップで、他の会社で何をやっているのかを知る→リファラル採用
組織能力が低い組織は保持している技術を生かせない
フェイル・ファースト(早めに失敗)

これ何の授業だよwwwww

にし先生は、手加減を知らない人だった。常に全力フルスイングで、自分の持っている情報・知識・知見・その他諸々を提供してくれたのだ。その結果がこのノートということになる。
正直当時の私如きじゃあ一割も理解できてなかったんだろうけど。

一応TQMとかの話も講義で扱って、私は品質管理に俄然興味を抱き始めるのだった。

まぁ講義の大半が上記のような雑談なので、時間無くなって「このスライドに書いてあること試験で出すよ。半分ぐらい話せてないから、ごめんけど自分で勉強してきてね」とか言い出す始末だったワケだが。



次に先生に会ったのは三年次の「ソフトウェア工学」の講義である。
今でも覚えている。講義の中で、こういう問題が出た。あなたは、大学でアルゴリズムとかの研究をしていたコンサルタントです。オフィスビルの管理人から、「エレベータの待ち時間が長いとクレームが来て困っているので、アルゴリズムをいい感じにして欲しい」と相談を受けました。どうすればいいか、周りの人と相談してみよう。
当時すでにひねくれ者になっていた私は、周りがエレベータの最適アルゴリズムについて議論する中、ディスプレイでも設置してYouTube流すか?サラリーマンは株価とかニュースとかの方がいいのか?お金かけないならルービックキューブでも置いとくか?とか考えていた。
先生が教室をフラフラしながら「いいアルゴリズムだねぇ!」とか言っている。私のところに来た。「君たちはどういう議論をしているんだい?」「はい、ディスプレイを置いてYouTubeでも流してやろうかと考えていました!」
先生は眉をひそめてこう言った。「君たちさぁ、情報系の学生としてのプライドとか無いの!?」

研究室配属を目前に控えた時期だった。にし研に志望出そうかな~なんて考えていた私は、焦りに焦った。「第一志望変えるか……」
上の空の私。講義を進める先生。あいつらはこういう提案をしていた、こっちのやつはこんな感じ、みんないいね~。そんな話をしている。「ところが。」先生はこう言って、私のところにスタスタ歩いてきた。「立て。」

あ~~~終わった。帰りたい。もう来週からこの授業受けるのやめよう。あの時の私は、きっと死んだ目で立ち上がっていたことだろう。「君たちの意見を言いなさい。」「あのー、ディスプレイにYouTubeとかをですね……株価とかニュースとかの方がいいかな、ハハ……」

「おめでとう君が正解だ。」

フリーズする私。ガッと握手してくれた先生。鬼のように焦ってたから手汗がヒドかった気がする。ゴメンね先生。
要するに「顧客が本当に求めているもの」とか「問題の本質は何か」みたいな話だったのだ。あー怖かった。
怖かったけど心の底からこう思った。「にし先生の講義マジおもしれー!」(元ネタ)



ということで私は無事にし研に配属志望を出した。配属志望を出すだけで「無事」とか言わなくちゃいけない辺りが本当にし研って感じする。
にし研へ配属志望を出した学生は、にし先生からの面接を受ける。私はドキドキしながら先生の居室のドアを開いた。

そこには、ThinkPadの外付けキーボードを叩くにし先生がいた。

HHKBじゃあないんかい。




そんなこんなで、私はにし研に配属された。



にし研は、「サービスってハードウェアじゃないよね。ってことはソフトウェアだよね。サービスにおけるクレームをソフトウェアのバグだと思えば、クレームを減らす手法とか作れるんじゃあないかな?」みたいな研究を真剣にやっているトンチキな研究室だった。

にし先生のせいで、世の中の全てをソフトウェアだと思うクセが付いてしまった。
挙句、私は現職で「eラーニング教材をソフトウェアだと思って、教材の間違いやわかりにくいところといったバグを減らそう」みたいなトンチキなことをやっているし、
このブログでは趣味として「漫画原作などを始めとした物語をソフトウェアだと思って、面白くないところといったバグを減らすための方法を考えてみた」みたいなトンチキなことを書いている。
トンチキがために、他社の事例などがほとんど無く、手探りで色々試すしかない現状が非常に楽しかったりする。そんなことに夢中になっているのは大体にし先生のせいである。



にし研は賢くなれる研究室だった。抽象度の上げ下げ・ロジックの進め方・目的志向・5ゲン主義・etc、人生の助けになる考え方をたくさん教えてもらった。
先生はことあるごとに「にし研では、社会で役立つことしか教えねぇんだ」と仰っていた。

ゼミの中で、言っている本人もよくわからないで使っている単語、例えば「○○を整理しようと思ってて~」とか「○○な傾向があって~」とかを、「整理するってどういう意味?」「傾向って具体的に言うと何?」とズバズバ切り伏せていった。

そんなところに二年間も居たから、現職のミーティングでウズウズして仕方がない。「うわーっ、抽象度がバラバラな資料だ。Howの話ばかりでWhatの話が永遠に出てこねぇなぁ。う~~っ、『考える予定って、具体的に何をされるおつもりなんですか?』とか訊きてぇ~~ッ。」
というか我慢しきれなくて時々言っちゃってる。そしたら、理解ある同僚から「その賢い頭脳をお借りしたくて」と頼られることも増えてきた。これもにし先生のせいである。



にし研は、研究とか勉強とかだけをやっていればいい、というようなところではなかった。n人でn個の研究テーマを、みんなでワクワクしながらやろう、というところだった。チームビルディングとか自己組織化とかの難しさを身をもって体験できた。

そういえばこんなことがあった。ある日、私は先生とサシでzoomで話していた。確かちょうどそのころ、我々は研究室のチームビルディングに苦戦していたのだった。
先生はこう言った。「先輩を含めたみんなをお前が引っ張るのがどう考えたってベストだろうが。お前そういうの向いてるんだから。そういう星の下に産まれてるんだ、諦めろ。」
私はしぶしぶ"諦めて"、研究室の牽引役のようなものをやりだした。進捗が芳しくなくてSlackを動かせていない人が居たら、同期・先輩・後輩を問わずフォローした。論文の要旨が書けなくて苦戦してる人が居たら、同期・先輩・後輩を問わず手伝った。二年間で何枚の要旨を書いたかわからない。同期の15分かかる発表原稿を、発表時間の7分に収まるよう徹夜で添削したこともあった。当時のメンツの中で、私が一番牽引役に向いていて、私が一番執筆能力の高い学生だったのだから、仕方ない。

そういう姿勢が染みついてしまったものだから、現職でも何でもかんでもやる人になってしまった。部長さんにそういう姿勢が気に入られてちょくちょくご飯に誘ってもらえている。これもにし先生のせいである。



にし研生活が一年半ぐらい経つと、ゼミ中に先生が「この後オレは何て言うと思う?」などと聞き出すことが増えてきた。
「え……っと、『具体例は?』ですかね……」「いいね~~、お前も脳内に『イマジナリー・にし先生』ができてきたな!」
もはや洗脳の域である。今も私の脳内にし先生は「問題を見ろよ」とか「常に対比で考えろって」とか言ってくる。今思えば、卒業しても一人でがんばっていけるように鍛えてくれていたのだろう。
学生時代とほぼ変わらぬ思考能力を発揮し続けられているのも、にし先生のせいである。



にし先生のせい、を言い出したら、そもそも品質管理/保証・ソフトウェアテスティングといった分野に夢中になっている現状がそうか。




にし研は本当に楽しかった。もう一度やりたいかと言われればNoなんだけど。本当に本当に楽しかった。




基本的に、最終的な意思決定者は自分だからという理由で、HHKBを推してた割にThinkPadの赤乳首信者だった時も、先生の助言に従って12月に卒論テーマ変えたら成果不足で留年した時も、私は先生に文句を言いたいと思ったことは無い。
でも今回だけは文句を言わせてほしい。

にし研のOB/OG一同で先生に弔電を出すことになり、そういう星の下に産まれている私は弔電の取りまとめ役を買って出た。卒室生たちの「弔電にこういうことを書いてほしい」という要望を聞き入れ、一部泣く泣く却下させていただきつつ、いい感じに仕上げたのだ。
人生初の弔電がにし先生宛になるとは思っていなかった。

深夜にSlackを動かしがちな私に先生は、「夜は寝ろ」「健康第一」と何度も言ってくださった。
先生本人は、学会に参加したり学生の進路相談をやったりで、深夜稼働が多かったのを我々は知っている。体調を崩しているのに進路相談を変わらず行っていたらしいと、お亡くなりになられた後に聞いた。

文句を言いたいので、先生、また話しましょう。




先月JaSST nanoで私が話した内容を、先生はどうやらチェックしていたようである。後輩曰く、「あいつがこの間VSTePの説明をしていた」と言っていたそうな。
「説明下手だなぁ」とか「適当言いやがって」とか思われていたのかもしれないが、まぁ色々やっているよというところは見せれたようで、私は幸運である。

二周目の学部四年生のある日に先生が(研究のデータを見て)言った「お前面白いことやってるなぁ!」という台詞を、卒業式の日に先生が言った「よくがんばった」という台詞を、いつかもう一度聞きたいものである。
にし先生から習ったQAを、一生やり続けていきますよ私は。




取り留めのない文章になってしまったけれど、無限にダラダラと書いてしまいそうなのでこの辺で終わりにしておく。それほどまでに多くのことを学ばせてもらったのだ。薫陶などという一単語ではとても片づけられない。
私の脳内イマジナリーにし先生は「オチを付けろ」と言ってくるが、まぁ放っておこう。

にし先生、お疲れさまでした。先生のことですから、VSTeP2を出せなかったことよりも現にし研生の指導を最後までできなかった方を悔やんでると思うんですが、まぁ我々で色々フォローしておきますから。ゆっくりaikoでも聴きながらアイスでも食べててくださいな。

桐生ココはすげーんだぜという話をする

桐生ココが引退する。

ホロライブ関係者たちは「卒業」という言葉を使うが、私は「引退」と言わせていただく。卒業とは、例えば単位を取り終わった・課程を修了したなど、やり切った場合に使う言葉だと思う。
桐生ココの成功はラッキーパンチではなく、彼女の努力・才能・戦略の結晶だと思っている。まだまだ、このVの世界を優雅に飛び回ってくれたと思えてならない。ゆえに「卒業」と言いたくないのだ。

そこで、この稀代の秀才エンターテイナーがいかに素晴らしかったか、特に彼女の配信戦略について、一個人の意見としてなんだかんだと述べさせていただく。


桐生ココの配信構成を端的に表現するとこんな感じである。

  • 長寿企画 + ゲーム実況

ゲーム実況としては、ホロだけでなくV全体にブームを巻き起こしたARC実況、最終的に出演声優さんにまで認知された龍が如く実況あたりが代表的である。また、モンハンのような、その時流行っているゲームの実況もしっかり行っていた。

しかしゲーム実況は、クリアしてしまったりやり尽くしてしまったりすると、次のネタを探さなければいけなくなる。ゲーム実況だけで第一線で活躍し続けるのは、常に「次はどうしよう」という思いが付きまとうし、非常に難しいことだと思う。

そこで、桐生ココは主軸にあさココ・Reddit Shitpost Reviewといった長寿企画を据え、安定した人気を得ることに成功した。これらの企画は本質的には同一であり、桐生ココのお家芸といえる。

あさココLIVE

桐生ココの代表作「あさココ」は、大量にある「ホロライブの前日の配信」から面白いシーンを抽出し、わかりやすくまとめ、面白く解説する企画である。やれば必ずトレンド入りした、といっても過言ではないほどの超人気企画であった。

あさココの功績は主に2つ。海外ニキの取り込みに成功したという点と、ホロメン間の導線を作ったという点である。

前者に関しては様々な人に言及されているため、割愛する。非常に素晴らしい功績であることは言わずもがなである。

後者をより詳細に表現すると、単推し勢が多かった(ように記憶している)当時のファンたちに、「あさココで紹介されてたヤツをアーカイブで見てみるか」と思わせ、箱推しを増加させた、という功績である。
つまり、あさココ(→わためのうた)→あさココで興味を持ったアーカイブを日中に視聴→夜にメイン推しの配信をリアタイ(→面白いシーンがあれば #あさココリーク でツイート)→あさココ……という流れを作ったのである。ホロライブ全体の活性化に寄与したといえる。

また、あさココについて「朝にやるという点が画期的だった」と言われているが、私にはこの配信時間帯は必然であったように思える。日中や夜では視聴者たちがアーカイブを見れないため、ホロ内に先述の導線は作れない。視聴者たちのカスタマージャーニーマップのようなものを考えると、朝にやるのがベストだという帰結になる。
一方で、配信時間が朝なので、他のホロメンとコラボなどはできないという欠点が存在する。桐生ココもそのことには気が付いていたと見えて、他のメンバーとはCMと称した動画形式にて共演する工夫がなされていた。

また、ゲーム実況と決定的に異なるのは、基本的にネタが尽きない点にある。あさココは、半永久的に続けることができるコンテンツなのである。
しかし、「前日の配信」群から数十秒レベルの面白いシーンを探す作業の大変さははかりしれない。ホロライブ全体の発展を願ってあさココを配信し続けた桐生ココ氏の努力は称賛に値する。

もちろん、あさココの成功は桐生ココ自身のセンスあってのものである。彼女の非凡なセンスがうかがえる回として、「大空スバルチン凸被害事件」を扱った回を挙げたい。(この回)(スペースが余ったらスバルを入れときゃいいと海外ニキが言っていた)
一般的な配信者ならば、「こういうことがあったらしい」「チン凸はダメだぞわかったかバカども」程度でクローズとなる話題であろう。しかし桐生ココは、「海外で"野郎がチンコを見せたがる理由"という論文が書かれるほど、世界的にも問題視されていること」という広げ方をした。そんな展開を作れる配信者・切り抜き師が他に居るだろうか。

聴診器でキャンタマの音を聴きたがる(この回)などのイカレっぷり(誉め言葉)ばかりが目立つが、彼女の真骨頂は上記のような話題のチョイスセンスにあると思っている。

Reddit Shitpost Review

さて、そんなマンモスコンテンツあさココの他に彼女が生んだスーパー企画、それがReddit Shitpost Reviewだ。

これは、海外サイトReddit上に大量にある「クソコラ」から面白い作品を抽出し、わかりやすくまとめ、面白く解説する企画である。つまり、内容の本質はあさココと同様で、桐生ココの得意技なのである。
こちらもあさココと同様、基本的にネタが尽きないため、半永久的に続けることができる。

あさココと異なる点はいくつかある。
第一に、アーカイブへの導線は生まない。これにより、朝以外の時間帯にも配信できる内容となった。(しかし、他ホロメンへの導線は生むので、やはりホロライブ全体の活性化に寄与していた。)結果、朝以外の時間帯に配信することで、他のメンバーとのコラボ形式で提供できるようになった。「次のゲストは誰じゃろな?」まで視聴者のひとつの楽しみにしてしまうあたり、彼女の手腕がうかがえる。
第二に、事前準備の労力が違う。クソコラのほとんどは画像であり、「前日の配信」をチェックするのよりは収集が楽なはずである。海外のスラング知識を要するが、USDA出身のオタクである桐生ココなら問題ない。
総括するとReddit Shitpost Reviewは、配信内容としては桐生ココの十八番であるが、あさココよりも事前準備の労力がやや軽くコラボも可能な、あさココの進化版だったのである。


このように桐生ココは、安定して提供できるコンテンツと、不安定ではあるがその瞬間瞬間のブームに乗れるゲーム実況的コンテンツとの両軸で活動しており、前者に関しては見事なグレードアップを見せていた。
彼女のバズりは、決してラッキーパンチではなく、努力・才能・戦略の結晶なのである。実際、あさココからReddit Shitpost Reviewへのレベルアップは見事なものであった。もし引退しなければ、ここからさらなる進化を遂げてくれただろうなどと夢想すると、非常に無念である。


桐生ココは、天才というよりは秀才という表現が似合うと思う。
思い出しても見てほしい、三期生の3Dお披露目配信時、彼女たちはまだチャンネル登録者数10万人程度だった。VTuberはいわばその程度のコンテンツだったのである。それが今では、初配信前に10万人を突破する事例も出てきた。明らかにコンテンツ自体の知名度が上がっている。金盾保持者が1つの事務所から20人も出るなんて、当時の視聴者たちは予想できただろうか。
VTuberが世界規模で人気になったきっかけの1つに、この「伝説の龍」の存在があることは確かだろう。ホロライブにとってだけではなく、VTuber業界全体にとっての功労者である彼女に、「行かないでほしい」「どうか元気で幸せに」と、それ以外の声が流れ去ってしまうほど何回も言いたいと思う。これら2つの感情は矛盾しない。

最後に、みんな大好きケツソムリエニキことKoefficientさんのコメントを紹介する。ファンのあるべき姿について見事に言語化されているので、ぜひチェックしていただきたい。

www.youtube.com

翻訳・切り抜きはみのむし氏である。両名には今後とも無理のない範囲で活躍していただきたいと思う。


さらばだ、稀代の秀才エンターテイナー桐生ココ。愛してんで! (しかしガチ恋ではない)

コマ割は宇宙みたいなもんでめちゃくちゃ難しいけど面白いよという話

はじめに

漫画というコンテンツが持つ特徴は、次の2つです。

  1. 唯一無二の構成要素「コマ割」がある
  2. 多くの構成要素が複雑に絡み合う

絵やストーリーについては、それぞれ脚本術・作画技術に関する書籍に詳しいです。つまり、他のコンテンツにおいて十分に研究されているため、そちらで蓄積されたノウハウを勉強すればなんとかなります。
しかし、他のコンテンツにはコマ割そのものが無いため、漫画以外のコンテンツに教示を願うことは叶いません。にも拘わらず、漫画業界においてコマ割分野の研究はそれほど進んでいないように思えます。

従って、上記の2特徴は次のような「漫画というコンテンツの難しさ」に繋がっていきます。

  • コマ割とかいうよくわからない構成要素が他の構成要素と絡み合って余計に訳わからんくなる

地獄ですね。

ということで今回は、漫画にとってコマ割とはどういう存在なのか、そしてコマ割理論における根本的な考え方にはどのようなものがあるのか、これらについて考察・整理していきます。

目次

エンタメコンテンツは「物理的な切れ目」との戦いである

まずは、漫画だけに限定しない、エンタメコンテンツ全般に関する話題を扱っていきます。

エンタメコンテンツは 入れて・出させない

エンタメコンテンツは、お客さんを「入れて・出させない」ようにするためにはどうすればいいか、というアイデアの結晶です。
「入れる」とは? 「出させない」とは? 1つずつ説明していきます。

1. 「入れる」

「入れる」とは、お客さんにコンテンツの存在を知って頂く・ハマって頂くステップのことを指しています。
以前「漫画の構成要素には『深さ』って概念があるんじゃあないかという話」でまとめた「浅い構成要素」を洗練することだけでなく、SNS等を活用したコマーシャルを行うこともこれにあたります。後者の作業は、漫画制作シーンにおいては雑誌編集部の方に100%お願いするのがスタンダードでしたが、最近は作家自身もコマーシャルを行わねばならなくなってきたといえます。「入れる」作業周りの傾向は、こんな感じで変わりつつあるのです。

  • 作家としての在り方が多様化した
    • かつては雑誌で連載を持っている商業作家だけがプロだった
    • 今日では、SNSの台頭・作品掲載プラットフォームの増加等に起因して、プロ・アマの境界線が曖昧に
    • そのため、雑誌編集部のお世話にならない活動形式を取る作家が増えた
  • 商業作家の中にも、読者とのコミュニケーション等を目的としてSNSを利用する人が増えてきた

上記のような変化によって、現代の作家には「入れる」作業の研究・分析をする必要が出てきました。今回のコマ割の話からは外れるネタなのでそこまで突っ込みませんが。
どのような漫画作品がTwitter上でバズりやすいか、という記事はその内書くかもしれませんし、書かないかもしれません。

2. 「出させない」

折角「入れる」ことに成功しても、すぐに出ていかれてしまったら意味が無いです。入ってきたお客さんをどうにかして囲い込んで、「出させない」ようにする必要があります。


まずは、お客さんがいつ出ていってしまうのかを分析しましょう。
お客さんが出ていってしまう一番のタイミングは、コンテンツの物理的な切れ目です。「物理的な切れ目」の具体例には、以下のようなものがあります。

  1. テレビ番組
    • 細かい粒度でいうとCMのタイミング
      • A/Bパートの途中で出ていく(視聴をやめる)ことは滅多にありません
      • まぁ、よっぽど内容が劣悪だったらその限りではないでしょうが……
    • 粗い粒度でいうと今週分が終わったタイミング
  2. 小説
    • 細かい粒度でいうと1P読み終わったタイミング
    • 中程度の粒度でいうと1章読み終わったタイミング
    • 粗い粒度でいうと1冊読み終わったタイミング
  3. 寄席・劇場
    • ある演者の根多・ネタが終わったタイミング
  4. YouTubeNETFLIXなど、動画コンテンツのプラットフォーム
    • ある動画が終わったタイミング

上記の例を見て、「確かに自分がこれらのコンテンツから中座するときはそういうタイミングだなぁ」と思っていただけましたかね、どうでしょう。
お客さんは、コンテンツが物理的に途切れているタイミングで出ていってしまいがちなのです。

物理的な切れ目があるからお客さんは出ていってしまうので、まず第一に考えるべき解決策は「物理的な切れ目を作らない」です。
例えばテレビ番組でいうと、CMをやらないようにする? 民放においては、スポンサーの関係でそれは難しいでしょう。「今週分終了」の切れ目を無くすということは無限にその番組を流すということになります。これも無理ですね。
他のコンテンツについても、「物理的な切れ目ゼロ」は実現可能性が低そうです。我々エンタメコンテンツクリエイターは、この物理的な切れ目の前には無力なのでしょうか。


いえいえ、そんなことありません。本節の初めで書きましたが、エンタメコンテンツは「出させない」ようにするアイデアの結晶です。既存のコンテンツには、このような物理的切れ目でお客さんが出ていってしまわないようにする工夫が施されているのです。その工夫とは、「物理的な切れ目を精神的に繋ぐ」、です。崖やクレバスのような切れ目に、橋を架けるイメージです。
「精神的に繋ぐ」手法は大きく分けて3つあります。1つずつ具体的に説明していきますので、それぞれの手法について・そして精神的に繋ぐということについて、理解していただければと思います。

i. 「完成度を上げる」

これは最もシンプルかつ最も難しい手法ですね。要するに、「物理的切れ目の前が面白かったら、切れ目後も面白いだろうと期待してもらえる。そのため、出ていかれない」ということです。
それはそう。当たり前体操。何の参考にもならない。もう次いきましょう。

ii.「興味を惹く」

テレビ番組を例に説明してみます。
テレビ番組における切れ目の1つはCMです。CMの直前には「あ、あれは!?」とか「このあと衝撃の展開が……!? チャンネルはそのままで!」とかいうシーン・カットがほとんどの番組で入っています。そうすることで、お客さんに「CM後はどうなるのかな」と思わせ、興味を惹けます。
お客さんの精神は、CM後にフォーカスされているのです。つまり、精神的に繋がっている状態なのです。今週分が終わったときにも、「来週のサザエさんは」よろしく次回予告をする番組って多いですよね。これも同様です。

小説の章終わりも物理的な切れ目といえますが、こちらもテレビ番組と同じで、興味を惹いて精神的に繋いでいるものが多いと思います。

このように「興味を惹く」ことで精神的に繋げれば、物理的な切れ目で出ていってしまうお客さんの数は減らせるのです。

iii.「切れ目を隠す」

「興味を惹く」は「物理的に切れているなら、精神を切れ目の先にフォーカスさせて、精神的に繋げばいいじゃない」という話でしたが、この「切れ目を隠す」は「物理的に切れていても、お客さんがそのことに気が付かなければ出ていかないよね」という発想に基づく工夫です。

例えば寄席。ある演者の根多が終わったらお囃子が流れます。もしもお囃子が無くてシーンとしていたら、お客さんは切れ目を強く感じてしまい、その結果寄席から出ていってしまうかもしれません。お囃子は、物理的な切れ目を隠す役割を担っているのです。
また、YouTubeには、ある動画を視聴終了したときに関連動画を自動で再生する機能が実装されていますね。あの機能があると、いつまでーも動画を見続けてしまいませんか。自動再生機能は、物理的な切れ目を隠すための機能であり、我々はこの機能のはたらきによって切れ目に気付けず、永遠に動画を視聴してしまうのです。

つまり、本当は物理的に切れているんだけど、様々な工夫によって精神的に繋いで、物理的切れ目を意識させない。これが「切れ目を隠す」ということなのです。


さて、「物理的な切れ目を精神的に繋ぐ」の意味、何となくでも理解していただけたでしょうか。

以上が「入れて・出させない」の簡単な説明です。
コマーシャリングや「掴み」を考えてお客さんを入れる。しかし、エンタメコンテンツの都合上どうしてもできてしまう物理的切れ目で、お客さんは出ていってしまう。そこで、その切れ目に精神的な橋を架け繋げることで出させないようにする。この「入れて・出させない」がポイントなのです。

漫画の物理的切れ目とは?

先ほど説明した物理的な切れ目の具体例には、いくつかの粒度別に説明していたものがありました。漫画についても、粒度別に見ていくことにしましょう。漫画の物理的な切れ目は、粒度が粗い順にいうと次のようになっています。

  1. 単行本ごとの切れ目
  2. 各話の切れ目
  3. 見開きページごとの切れ目
  4. 1コマごとの切れ目

1~3の切れ目について、無くす選択肢は不可能であることを確認してください。一番最初に考えるべきはそこです。(「1コマごとの切れ目」については後で詳細に考えていきます。)

そのため既存の作品では、毎巻・毎話のラストは次巻・次話が気になるようになっています。「興味を惹く」ことで精神的に繋いでいるのです。また、当然のこととして、「完成度を上げる」精神的な繋ぎ方も、毎巻・毎話で実施されています。

加えて、所謂「めくってドン」は、見開きページごとの切れ目を「興味を惹く」ことで精神的に繋ぐ手法といえます。
「めくってドン」を簡単に説明しましょう。まず、見開きページにおける左下のコマで、「お、お前は!」とか「ゴムゴムの~~」とかいうシーンを描き、お客さんが思わずページをめくってしまうようにします。そして、ページをめくった先に「ドン」とインパクトのある見せ場シーンを用意しておくのです。

  • 「お、お前は!」 → ぺらっ → 「あの時死んだはずの!」
  • 「ゴムゴムの~~」 → ぺらっ → 「バズーカ!!!」

これが「めくってドン」です。呼び方には多少の揺れ・流儀があるでしょうが、漫画制作者にとっての基本技術だと思います。

「めくってドン」によって、お客さんは、面白い・ 次のシーンも読みたいなどといった感想を抱きます。物理的な切れ目で出ていかなかったわけです。エンタメコンテンツの勝利ですね。しかし、すぐに次の見開きページが終わってしまい、また切れ目が来ます。次はどうやって興味を惹こう? そういった戦いの繰り返しなのです。

他の切れ目は無くせない。ではコマ割は?

さて、問題は「1コマごとの切れ目」ですね。まず考えるべきは、「この切れ目を無くせないか」です。
コマ割、辞めませんか? 考えるの大変で面倒だし、でもお客さんは絵とか話とかに注目しがちでコマ割って評価されないからコスパ悪いし、その上物理的な切れ目まで作ってお客さんが出ていく一因になるなんて。なんのためにコイツ存在するんだ。害悪。まぢ無理リスカしよ。

まぁでも、漫画の長い歴史の中でコマ割が産まれ、今日まで残っているということは、何らかの有用性があるのでしょう。コマ割の何が嬉しいのか・コマ割が無いと何が困るのか、少し考えてみましょう。

お話を情報の連なりと捉えると、コマ割が無い漫画作品とは、1つのページに1つの情報しか無い作品です。週刊連載の場合1話あたり約20Pですから、お客さんは1週間待ったのにそのお話に関する情報を20個しか得られないということになります。そして作者は、20個の情報の中で、次のことを描かなくてはいけません。

  1. 前回の続き
    • 各話の切れ目を精神的に繋ぐために、毎話のラストは「イイところ」で終わっているはず
  2. 今回の内容
  3. 次回へのフリ

たった20個の情報でこれだけのことを描くのは相当の難易度です。

でも、どうにかしてお客さんを満足させないといけません。どうしましょう?
思いつく解決策は、「1Pあたりの情報量を多くする」ことです。1Pに2個も3個も情報を詰め込めば、お客さんを満足させることがもう少し簡単になるかもしれません。しかし、ただ単に情報を詰め込むと見づらいだけです。可能な限り「見やすく詰め込む」という矛盾を実現するため、うまい詰め込み方を考える必要があります。
情報には流れ・順番がありますから、吹き出しや絵をこの順番で見てほしいというメッセージを込めねばなりません。吹き出しに数字を書く? お客さんにとってノイズとなる余計なものは追加したくないですね。線とか引きます? 数字よりは線の方が、読んでいて邪魔にならないはずです。例えば真ん中に横線を引けば、きっとお客さんは上→下の順番で読んでくれるでしょう。これで、ノイズを増やすことなく、1Pに情報を2つ入れることができるようになりました。さらに縦線も引いちゃえば、1Pに入れられる情報量が4つに増えますね。

あれ、これコマ割そのものでは……。

コマ割があると何が嬉しいのか、まとめるとこういうことです。

  1. コマ割が無い場合、1話あたりに詰め込める情報量が少なくなる
    • お客さんは、情報量の観点で満足しない
  2. コマ割無しに情報を詰め込むと、見づらい
    • お客さんは、情報量の観点では満足しているが、見やすさの観点で満足しない
  3. コマ割技術を活用すれば、「見やすく詰め込む」という矛盾を実現できるようになる

つまり、コマ割とは、情報を見やすく詰め込むためのページデザイン技法なのです。漫画にコマ割は必要不可欠であり、コマ割こそが漫画表現における最大の独自性といえます。コスパ悪いとか言わずに研究しましょう。

コマ割の物理的切れ目を精神的に繋ぐ

我々に大いなる恵みを与えてくれるコマ割ですが、一方で、物理的な切れ目を作ってしまうという負の側面もあります。コマの枠線は「物理的な切れ目」です。つまり、あるコマを読み終わったタイミングで、お客さんは心の中で「次のコマを読むか否か」ジャッジし、そのジャッジを通過できなかった場合「出ていかれて」しまうわけです。

どうやってこの問題を解決しましょうか。
本記事の初めで、「他のエンタメコンテンツにコマ割は存在しないため、漫画以外のコンテンツにノウハウを教示してもらえない」と述べました。それは事実です。しかし、コマ割における実質的な問題は「物理的な切れ目ができてしまう」点であり、この問題の解決策は他コンテンツからたくさん吸収することができます。そして、他コンテンツにおける解決策の分析は、ここまでで既に行ってきました。

エンタメコンテンツの最重要事項は、お客さんを「入れて・出させない」ことです。お客さんが出ていってしまう「物理的な切れ目」は、崖やクレバスに橋を架けるが如く、精神的に繋ぐことで乗り越えることができます。具体的には、

  1. 完成度を上げる
  2. 興味を惹く
  3. 切れ目を隠す

の3種類の手法があるんでしたね。
そして1, 2の手法は、コマ割よりももっと粒度が粗いレベル、つまり単行本レベル・1話レベル・見開きページレベルでは、実は漫画制作で取り入れられていました。

じゃあ、これらの手法を、コマ割の物理的切れ目問題を解決するために使えないか、考えてみましょう。

完成度を上げて繋ぐ

「前のコマが面白かった。次のコマも面白いはずだ。続きを読もう」
お客さんにそう思っていただくことで精神的に繋ごう、ということです。

この手法は、最も一般的な考え方です。多くのネーム描き・漫画描きが一番最初に考えるポイントだと思います。

この考え方に基づいて作られたコマは、「トリミングして1コマだけで見ても面白い」という特徴があります。
Twitterなんかで、「今週のこの作品はここが面白かった」などと、1コマだけをトリミングしてツイートしている人を見かけたことはありませんか*1。あるいは、人気な作品だったら「〇〇展」と題して個展が開かれることもあり、そこでは名シーンを1コマだけトリミングして展示されたりします。
このような、「1コマだけで見ても面白い・絵になる」という状態は、その1コマの完成度が高いということの証拠なのです。各コマの完成度が高いかどうか気になったら、ネームを全部コピー・プリントアウトして、1コマずつに切り分け、シャッフルしてみるといいかもしれません。全コマが最高に面白い! とはいかないでしょうが、まぁ3分の1ぐらい面白ければイイ感じだと思います。

興味を惹いて繋ぐ

ストーリー全体で「どうなるんだろう」「どういう意味だろう」と興味を惹こうという話は、巷に溢れていますが、「1コマ単位で興味を惹くように作る必要がある」と主張しているものはあまりないかもしれません。しかし重要なことです。

「1コマ単位で興味を惹く」ための具体的なテクニックを1つ紹介します。
冨樫義博大先生のHUNTER×HUNTERで頻繁に使われる「アクションとリアクションの順番を逆にする」手法は、かなり有効なテクニックです。
リアクションはre-actionなので、あるアクションに対する反応のことです。つまり、アクションの後にリアクションというのが普通です。しかし、HUNTER×HUNTERでは、リアクションを先に描きがちなのです。例えば、天空闘技場編でヒソカが自分の腕の切り口に手を突っ込むシーン。現実世界ならば、

  1. ヒソカが腕に手を突っ込む
  2. 観客がそれ見てビックリ

という流れで進んでいくはずですね。1がアクションで2がそれに対するリアクションです。しかし、HUNTER×HUNTERでは、この順番を逆にして

  1. 観客がビックリ
  2. ヒソカが腕に手を突っ込む

の順で描かれています。
これを読んだお客さんは、次のような心理状態になり、物理的な切れ目を1つ越えることができました。

  • (1を読んで)天空闘技場の観客たちは何にビックリしたんだろう
  • 次のコマを読んでみよう

アクションとリアクションの順番を逆にしてリアクションを先に描くということは、本質的には「問題提起・回答提示の順で描く」ということです。例えば、以下のような描写も同様に読者の興味を惹けるため有効であるといえます。

  1. キャラクターが突然撃たれる
    • 問題提起: 誰が撃ったのかな・どこから撃ったのかな
  2. 狙撃手の顔が描かれる
    • 回答提示: こいつが撃ちました
  3. 位置関係が描かれる
    • 回答提示: ここから撃ちました

リアクション・アクションの順、あるいは問題提起・回答提示の順で描くことで、1コマ単位でも興味を惹けるように工夫しましょう。

切れ目を隠して繋ぐ

コマ割の物理的な切れ目はコマの枠線なので、一番単純な切れ目の隠し方は、枠線を引かないことです。そもそも枠線を引かなくても読みやすいように吹き出し・キャラクターを配置したり、キャラクターの脚やゴンさんの髪の毛などによるぶち抜きでコマを割ったりすることは、切れ目を隠す有効な手段です。普通に枠線を引くよりも、物理的な切れ目を意識されないと思います。
あるいは、キャラをコマに跨らせる様に描くことも有効です。1人のキャラクターがある程度長い台詞を話しているシーンでは、複数のコマにキャラを跨らせると見やすくなります。

切れ目をうまく隠している漫画作品は、「1コマごとの完成度を上げ」た漫画作品と異なり、1コマだけにトリミングできない、という特徴があります。HUNTER×HUNTERや呪術廻戦は、頻繁に「切れ目を隠す」手法を取っている作品です。参考にしてみてください。

まとめ

ここまでの一連の説明が、コマ割を考える時の思考回路、すなわちコマ割理論における根本的な考え方なのです。まとめてみます。

  • コマ割は情報を見やすく詰め込むためのページデザイン手法
    • 限られたページ数でお客さんを満足させるために必要不可欠
  • 一方で、コマ割はお客さんの流出原因となる「物理的な切れ目」を作ってしまう
  • そこで、他コンテンツで採用されている「物理的な切れ目を精神的に繋ぐ」手法をコマ割にも流用しよう
    1. 完成度を上げる
    2. 興味を惹く
    3. 切れ目を隠す

コマ割に「銀の弾丸」は無い

銀の弾丸」は、オオカミ男や悪魔を撃退するために使われます。ソフトウェア工学界隈では、特効薬なんて存在しないという意味でこのような言い回しが使われます。

ソフトウェアだけでなく、コマ割にも特効薬、すなわち「こうすればいつもうまくいく」という鉄板の手法はないのです。
具体的な鉄板手法が無い分、上記のような、コマ割理論における原理原則をしっかりと理解した上で、各シーンにピッタリなコマ割を考えていく必要があります。

ネームの校正・コマ割のコンサルタントに関する依頼は、浮曇想作所で随時受け付けています。興味ある方はご相談ください。

終わりに

漫画描きの主な興味の対象はお話作りと作画作業であり、コマ割は業界全体として軽視されているといえます。しかし、漫画表現の最大の独自性はコマ割であり、ここを追求することは、他コンテンツとの差別化に繋がる、非常に大切なことだと考えています。
本記事に関するご質問などは、私が所属する個人事業所 浮曇想作所の質問箱に投げていただくのが一番気軽かなと思います。もちろん、ホームページに記載されているメールアドレスからコンタクトを取っていただいても構いません。
浮曇想作所を、今後ともよろしくお願い申し上げます。

文責: はんすおい
協力: 浮曇非路 (Special thx: ぶんちょう)

*1:これに関しては、著作権的にどうなんだという話題もありますが……。私個人の見解は「数コマ程度だったら著作物として認められないレベルなのでセーフ。でも作者さんがやめろと言ったらやめるべき」です。

うきぐも考案の練習問題LWQで台詞力を鍛えようぜという話

はじめに

物語を綴る人にとって、「台詞力」は永遠の課題です。

「台詞をどう考えればいいのかわからない」「台詞はいつも難産だ」という人にも、「当たり障りのない台詞しか書けない」「もっとエモい台詞を書けるようになりたい」という人にも、
台詞力を向上させたい全ての人にオススメできる練習問題LWQを、本記事で紹介していきます。

目次

LWQとは?

漫画原作家 浮曇非路(@HiroUkigmo)が考案した、台詞力を向上させるためのトレーニング用練習問題です。
Last Words Questions*1の略で、うきぐも氏はいつも「エル・ダブ・キュー」と呼んでいます。

例えば以下のような問題です。みなさん、やってみてください。

次のシチュエーションにピッタリな台詞、及びそれに至るまでの簡単な流れを考えてください。
『雪山で一人遭難してしまった主人公。天候は荒れ、食料は尽き……。主人公は最期に一言呟き、息を引き取った。』

回答例として、以下のようなものが想定できます。

  1. ガタガタ震えて、「寒い……」
  2. 主人公は人情味溢れる人物。友人や家族のことを思い出し、「会いたかったな……みんなに、もう一度…………」
  3. 主人公は美食家*2。今まで食べた思い出の料理を次から次へと回想するが、最後に頭に浮かんだのは亡き母の手料理だった。「お腹空いたなぁ」
  4. 主人公は人付き合いが苦手な人物。しかし、ふと今までの人生を思い返してみて、周囲の人々から大いなる優しさを受け取っていたこと及びそのありがたさに気が付き、噛み締めながら、「あったけぇ」

LWQの回答を考える際の指針

闇雲に考えてもトレーニングの効果は薄いでしょう。
この問題に取り組む際の指針を簡単に説明します。LWQをやってみたい人は、参考にしてください。

台詞をどう考えればいいのかわからない・台詞はいつも難産だという人は

以下の流れで実施することをオススメします。

  1. 主人公 = 自分 として考える
    1. 自分だったらなんて言うかを考える
      • 例: 「ハワイ、行きたかったな」
    2. 1の台詞にした理由を誰かへ説明できるよう、簡単にまとめる
      • 例: 旅行が好きだが、まだ国内旅行しかしたことがない。初めての海外旅行はハワイと決めている
    3. 2に付随したエピソードトークをまとめる
      • 例: 沖縄へ行った時、財布を落としてしまい大変な目に遭った。ハワイへ行ったら現地のロコモコを食べたい
  2. 主人公 = 周りの人 として考える
    1. 誰を主人公にするかを考える
      • 例: 父
    2. 1を誰かへ紹介できるよう、簡単にまとめる
      • 例: 高校で日本史を教えている
    3. 2に付随したエピソードトークをまとめる
      • 例: 優しくて面倒見が良いと評判らしい。家での父には見る影もないが
    4. 3に付随したLast Wordsを考える
      • 例: 担任クラスの生徒たちを思い出し、「ごめんな、卒業まで一緒に居れなくて」
  3. 主人公 = 架空の人 として考える
    1. どんな人を主人公にするかを考える
      • 例: 空手家
    2. 1を誰かへ紹介できるよう、簡単にまとめる
      • 例: 小学生の頃に空手を始めた。とっても負けず嫌い
    3. 2に付随したエピソードトークをまとめる
      • 例: 試合に負けた日は必ず泣き明かす。稽古は自分が勝つまでやめたがらない
    4. 3に付随したLast Wordsを考える
      • 例: "生きて帰れるか"を大自然との勝負と捉え、「引分けってことにしといてやるぜ」

回答例1について

台詞は、キャラクターを表現するための一手段です。キャラクター性を反映していない台詞は無意味といえます。例えば、回答例1「寒い」はどんなキャラクターにも当てはまります。これはキャラクター性を反映できていない何よりもの証拠です。
というか、「雪山」で「天候は荒れ」ているといった状況描写によって寒さは示せていますから、それをわざわざ台詞にする必要はありません。回答例1は反面教師として扱ってください。

「主人公はどういう人物なのか」を、エピソードトーク込みで具体的にしておき、それを反映させるように台詞を考えていくことが重要です。
LWQに繰り返し取り組むことで、以下の流れで台詞を考える習慣を付けると良いと思います。

  1. 主人公はどういう性格か?
  2. その性格を表す出来事・エピソードは何か?
    • ここで考えたエピソードは、本編に織り込めるかもしれない
  3. 1, 2のようなキャラクターはこの場面でどんな台詞を口にするか?

当たり障りのない台詞しか書けない・もっとエモい台詞を書けるようになりたいという人は

全ての台詞をエモくする必要はないですが、「ここぞ」というシーンではエモさを出したいものです。
エモい台詞って具体的にどういう台詞なんでしょうか。私は、「このキャラクターはどうしてこう言ったんだろう」と想像する余地のある・味わい深い台詞がエモい台詞、だと思っています。
お客さんが味わい深い台詞を見ると、その時の発言者の心境に思いを馳せ・理解し・共感していきます。共感とは、お客さんの経験とキャラクターの境遇とが合致していることだけではなく、お客さんがキャラクターの心を理解することをも含むのです。
じゃあキャラクターの心境を逐一明言していけばOKかというと、そうでもないようです。理由は2つあります。

  1. 現実世界に「自分が今どう思っているか」を逐一報告する人はまず居ないので、リアリティに欠ける
  2. 味わい深い台詞があると、お客さんは解釈や考察などによって能動的に物語を楽しんでくれるので、満足度が高くなる

さて、上記のような味わい深い台詞を書いてエモさを演出したい人にも、LWQは有効であると考えています。LWQに対する答えを考えることは、自動的に味わい深い台詞を考えることになるのです。LWQはそうなるように設計されています。

想像の余地を作る方法の1つは、文字数よりも多くの情報量を台詞に込めることです。
LWQは、シチュエーション的に長文を答えることができません。そもそも「ポツリと一言呟き」って書いてあるし、雪山で遭難している死にかけのキャラクターが

自分の人生を振り返ってみるに、18歳のあの出来事が転機だったといえる。少し昔を思い出してみよう。そもそも人生とは、

とかグダグダ語り出したら「こいつ元気ハツラツじゃねーか」ってなるし。
しかし、死の間際という重要なシーンなので、「何か感動的なことを言わせたい」欲が働きます。
結果、「短いけど何かイイことを」の方向に思考が働き、自然と味わい深い台詞を考えてしまう。LWQはそういう問題なのです。


では、具体的にどのような台詞が味わい深い台詞といえるのか、回答例を見ながら考えていきましょう。
以下の分析内容は、あくまで私の解釈です。本記事読者のみなさんは、あなたなりの解釈を考えてみてください。

回答例2について

主人公は人情味溢れる人物。
友人や家族のことを思い出し、
「会いたかったな……みんなに、もう一度…………」

死の間際に友人や家族を思い出したお涙頂戴系ではありますが、台詞に想像の余地がありません。台詞の文字数とそこに込められた情報量とがイコールです。キャラクターの心情を明記してしまっているのです。
キャラクターの人情味溢れる部分だとか心優しい部分だとかが反映されているので、回答例1「寒い」よりは良い台詞ですが、そこまでエモくないです。

回答例3について

主人公は美食家。
今まで食べた思い出の料理を次から次へと回想するが、最後に頭に浮かんだのは亡き母の手料理だった。
「お腹空いたなぁ」

設定されたシチュエーション曰く、「食料は尽き」ています。じゃあこれ、主人公は本当にお腹をすかせているだけなのでしょうか。
恐らくそうではないでしょう。この「お腹すいたなぁ」は「お腹がすいた」の意味ではなく、「母さんの料理が食べたいなぁ」の意味だと思います。つまりそれは、「今まで色んな料理を食べてきたけれど、母さんの手料理よりも美味しいものは無かったな」の意味であり、「母さんありがとう」だとか「あの世で会えるね」だとか考えているのかもしれません。
……と、このように、回答例3にはある程度想像の余地があります。文字数 < 情報量でもあります。回答例2よりもエモい台詞だといえるでしょう。

回答例4について

主人公は人付き合いが苦手な人物。
しかし、ふと今までの人生を思い返してみて、周囲の人々から大いなる優しさを受け取っていたこと及びそのありがたさに気が付き、噛み締めながら、

「あったけぇ」

死の間際に友人や家族を思い出しているので、本質的には回答例2「みんなにもう一度会いたかった」の仲間です。
しかし、こちらの方が回答例2よりもエモい台詞だといえます。文字数と情報量との大小関係を見てみましょう。「あったけぇ」は「あったかい」の意味ではなく、「自分は今までみんなに優しくされていたんだな」「自分はみんなのことが大好きだったんだな」「みんなありがとう」のような意味だと思います。つまり文字数 < 情報量であり、想像の余地があるのです。この点で、回答例4は回答例2よりもエモいです。

では次に、回答例3と比較します。回答例4を見た時、次のように考えた人がいたかもしれません。

「雪山」で「天候は荒れ」ているのに、「あったけぇ」とはどういうことだ?

回答例4の台詞は、字面だけ見るとシチュエーション的にあり得ない台詞です。なぜ主人公は「あったけぇ」と言ったのか、自然に想像してしまいます。対して、回答例3の台詞は、字面通り「お腹がすいた」という解釈でも、意味は通ります。この点で、回答例4は回答例3よりも良い台詞であるといえます。
回答例4は、読者へ「主人公の心境に思いを馳せる行為」を強制する台詞なのです。エモさを感じることを強いる台詞と言い換えることもできます。
回答例4のような、「この台詞はどういう意味なんだろう」と考えずには居られない台詞の方が優れていると考えています。

LWQで台詞力を鍛えよう!

さて、ここまでLWQの一例として「雪山で遭難」というシチュエーションを扱ってきましたが、主人公以外の登場人物が居ない状況ならば*3、他の設定でも構いません。例えば、砂漠で遭難して・海で溺れて・人通りの無い道で倒れて・etc。どのシチュエーションにおいてもLast Words Questionsであることには変わりません*4。設定を色々と変えて楽しんでください。
さらに、どのシチュエーションにおいても最適解はありません。LWQは、ゴールのない問題なのです。繰り返し考えて、少しずつ より良い答えを出せるようにトレーニングしていきましょう。考え続けることで台詞力が向上していきます。紙とペンすら要らない問題ですから、暇さえあれば取組んでみてほしいです。

また、LWQは、台詞をどう考えればいいのかわからないという方から、もっとエモい台詞を書きたいという方にまで、幅広い層に有効な問題です。
前者の層に対しては、登場人物が主人公1人ですから、「このキャラクターはどういうヤツなんだろう」といった観点から台詞を考えざるを得ず、「キャラクター性を台詞に反映させる」習慣付けができます。
後者の層に対しては、「短くてイイ台詞」を考えるトレーニングとなり、それはエモい台詞を考える力へと繋がっていきます。
実施する人のレベルを問わないため、複数人で回答を持ち寄ってワイワイ議論する、そんな使い方も可能だと思います。

他にも、「死の間際」という、物語に頻出するシチュエーションが対象なので、以下のような利点もあります。

  1. 既存作品のシチュエーションを参考にでき、類題を作りやすい
  2. 既存作品の台詞を参考にでき、分析・研究・勉強がしやすい
  3. 考えた答えをストックしておくと、自作品に類似シチュが出てきたとき 流用できるかもしれない

「台詞力を鍛えたい」方は、LWQをぜひとも一度お試しあれ。

終わりに

台詞を推敲する際の着眼点などは巷に溢れていますが、日常的に実施できるようなトレーニング手法を紹介しているものは少ないように思えます。これは台詞だけに限らず、物語創作界隈全般における課題といえます。漫画原作制作に関しては特に顕著で、画力向上を目的としたトレーニング手法は山ほど公開されていますが、原作作りとなると全くです。その点で、この記事にはある程度の新規性・有用性があると考え、執筆しました。誰かの創作の助けになれば幸いです。
本記事に関するご質問などは、私が所属する個人事業所 浮曇想作所の質問箱に投げていただくのが一番気軽かなと思います。もちろん、ホームページに記載されているメールアドレスからコンタクトを取っていただいても構いません。
浮曇想作所を、今後ともよろしくお願い申し上げます。

文責: はんすおい
協力: 浮曇非路 (Special thx: ぶんちょう)

*1:日本語に訳すと「遺言問題」ですが、そう言うとちょっと響きが重苦しいので、英語に直訳してイキっています。

*2:そんなヤツがなぜ雪山に……? とかはまぁ無視してもろて。台詞力のトレーニングが主題なので。許して。

*3:登場人物1人のLWQに慣れてきたら、複数名が登場するLWQに挑んでみるのは良いことだと思います。その場合は、登場人物間の関係を説明できるようにまとめておくというSTEPが発生します。

*4:この点で、LWQは練習問題のフォーマットであるという表現の方が適切かもしれません(いまさら)。

鬼滅の刃は何故成功して何故終わったのか

本記事は、もともと別アカウントで2020/05/30に投稿した記事を移行したものです。

はじめに

本記事について

鬼滅の刃」は何故あんなに面白く、何故あんなに売れたのか?
そして、あんなに売れた/売れてるんだから、どうにか頑張ってもう少し続ければよかったのに、何故終わったのか?

……を分析してみよう。そういう記事です。
色々要因はあると思いますが、取り敢えず「キャラクター表現」という観点から見ていこうと思います。

目次

要約

  1. 鬼滅の刃は物語創作の基本に忠実だったから売れた。特に「固定化とギャップ」という風に私が勝手に呼んでいる基本については特筆に値する。
  2. そして、「固定化とギャップ」によるキャラクター表現の限界を迎えたので連載が終了した。

主張

1. 「固定化とギャップ」を徹底的にやっているだけ

固定化とは?

ここでは、「このキャラはこういうヤツ」と読者に示して、それを繰り返す作業のことを指す。

ギャップとは?

ここでは、固定化した面と正反対の部分を見せることを指す。

「固定化とギャップ」って、具体的には何をやってるの?

鬼滅の刃は、以下の流れで「固定化とギャップ」を行っています。キャラクターの描き方はワンパターンなのです。

  1. 「このキャラはこういうヤツ」を分かりやすく示す。
  2. 1で示した性格を徹底的に描く。
  3. 正反対の面を一回だけ見せる。

ポイントは、「ただギャップを見せれば良い」のではなく、「最初に固定化をする」必要がある、という点です。そしてこの「固定化」を徹底的に、本当に徹底的にやったことが、鬼滅が売れた要因の1つだと考えています。

2. キャラクターについて描写しきってしまったから連載が終了した

「固定化とギャップ」をやり続けた結果、とっても魅力的なキャラクターが作れたし、その魅力を読者のみなさんに示すことができた。

でもどうしよう?全てのキャラクターを紹介し尽くしてしまったので、この後やることがもう無い!

  • キャラクターの同じような面を描写し続けても、「それはもうわかったよ、予想が付くからつまらないなぁ」と飽きられてしまう
  • かと言って全然異なる面を出したら、せっかく固定化したキャラクターがブレてしまって、読者のみなさんを「こんなの私が好きだったあのキャラじゃない」と失望させてしまう
  • 新しいキャラを出す?そういう小手先の対症療法は「引き伸ばし」と言われ嫌われる。

もう連載を続けられない!

よく言えば、鬼滅の刃は「作品として完成してしまった」のです。だから終わったのです。

実例

1. 嘴平伊之助 ~「固定化とギャップ」のお手本~

1. 「このキャラは野生児キャラ」であると示す。

(以下、きっと吾峠先生はこんな感じで考えたんだろうなという妄想)
そもそも野生ってなんだ? 文明を持ってなくて、ある種無慈悲で、現代(というか大正時代)の人間ではないもの、とかか。
じゃあ、顔は人間じゃないヤツにしよう。よし、イノシシの頭を被らせよう。
(妄想終わり)
てな感じかどうか知らないが、こうして「イノシシ頭の野生児キャラ」が完成します。伊之助は見るからに野生児……というか、「野生の権化」みたいなキャラデザをしています。

2. この「野性味」を徹底的に描いていく。

  • 野性味と言えばこういう感じ → それをこう描いた

のフォーマットで、どうやって固定化を行ったのか列挙してみます。

  • 野生動物は、悩んだりしないで目的に一直線に走っていく → 「猪突猛進」と叫びながら猪突猛進させる。
  • 野生の肉食動物は、獲物を見つけたら容赦なく狩る → 鬼を見つけたら即斬りかかる
  • 本来人間が持ち合わせているような社会通念は無い → 「埋葬」の概念を理解できなかったり、炭治郎に「人を踏みつけにするな!! こんな小さい子を踏むなんてどういうつもりだ!!」と言われたり
  • 食事が必死 → 人の食べ物を奪ったり、食べ方が汚かったり

これらは全て、第21話(伊之助初登場)から第27話で描かれた伊之助の特徴です。登場初期の場面でこれだけの特徴を描写して、「野生児キャラ」を固定化したのです。
さらにこの後のストーリーでも、同じように「野性味」を表現したり、上記の特徴を繰り返し描いたりして、「伊之助は野生児キャラである」ことを、読者の意識にこれでもかというぐらい徹底的に"固定"していきます。

そして、

3. 正反対の面を一回だけ見せる

第160話にて、上弦の弐である童磨が伊之助に語りかける形で、伊之助の母親について描かれます。自分の母親のことを思い出した伊之助は「涙を流し」、童磨を斬って「母親の敵討ちをしようとし」ます。

「野性味どこ行った?!」
亡き母を思って涙を流すなんて「野生」のイメージからは程遠いし、野生の世界にも親子愛はあるかもしれないけど「敵討ち」はめちゃくちゃ人間臭い行為じゃないか?

このシーンの伊之助は、「野生児」としてではなく「人間臭くて情に厚い人物」として描かれています*1。イノシシの被り物も童磨に取られ、「人間の素顔」を晒しています。伊之助が泣くシーンはいくつかありますが、このシーンは「人間の素顔」で「ヒトとして」泣いた(たぶん)唯一のシーンです(イノシシ頭を被った状態では数度泣いています)。

これがもしも、「しょっちゅう人間臭い一面を見せる」風に描いていたら、伊之助はどっちつかずのキャラクターになってしまい、読者が「母親の敵討ち」というギャップに感動することは無かったでしょう。だから伊之助はほとんど常にイノシシ頭を被っていたし、外さざるを得ないシーンではなるべく「汚く食べる描写」を入れるなどして"野生アピール"に余念が無かったのです。
気になる方は、伊之助が素顔を見せているシーンを探してみてください。あいつ大抵食い散らかしてますよ。遊郭編を除いて……*2

4. キャラクターとして完成した

まぁそんなこんなで、伊之助は「野生児なんだけど時々人間臭いところも見せるキャラ」として完成しました。ここから彼を描くのは簡単です、「野生だけど人間」って描写を繰り返せばいいのですから。例えば炭治郎が鬼舞辻のせいで鬼になってしまったシーンも、そうやって描写されています。

  1. 炭治郎を斬ろうとする(野生児)
  2. しかし仲間だから斬れない(人間臭い)

しかしこのレベルに到達すると、一つの問題が生じます。読者がキャラクター「伊之助」を完璧に理解してしまったということです。
厳密にいうと、理解してもらうことはいいことなんですけど、「伊之助はどういうキャラなんだろう」という疑問が解決してしまった点が問題なのです。疑問がないということは興味がないということになり、伊之助を使って読者の興味を惹くことはもうできなくなってしまったのです。

脱線注意報

この記事を読んでいる人(想定)「そういえば伊之助には、「実は素顔が美少年」ってギャップもあったなぁ。あれも同じように、面白さを作るための工夫だったのかなぁ。」
うーん、あれはギャップというよりは……(長くなるので注釈へ。興味あればどうぞ)。*3

2. 我妻善逸 ~「ビビリ系キャラ」の動機付けがうますぎる~

1. ビビリなキャラだと示す

ビビリだからすぐ逃げ出す、と固定化しています。

さぁここで問題発生。逃げ出すキャラだから、ストーリーの都合上戦闘の必要がある時でも戦ってくれないのです。戦わせると固定が緩んでしまいますが、逃げてしまうとお話が進まない。*4
ということで善逸は、戦うとき気絶するキャラクターになりました。本人の意思の外で戦わせることで、固定が緩まないように工夫しているのです。これはうまい。

2. 「ビビリですぐに逃げ出すキャラ」と固定化

固定化…できればいいんですけどね、そのまま固定化しようとすると、何もしてくれなくてお話が進まなくなります。訓練はやりたがらないし、任務にも行きたがらないワケですから。*5

さて、どうやってこの問題を解決したのか?

答えは、「善逸の中での優先順位をはっきりさせた」、です。
善逸の初登場シーンを見てみましょう。彼、なんて言って登場したか覚えてますか?

善逸「頼むよ!!」「頼む頼む頼む!!結婚してくれ」「いつ死ぬかわからないんだ俺は!!だから結婚してほしいというわけで!!頼むよォーッ」

これはうまいですよね。「結婚してくれるなら頑張る」みたいな展開が目に見えます*6

つまり、善逸を「ビビリなんだけど、自分の安全より女の子の方が優先」というキャラクターにした上で、ビビリキャラとしての固定化を行っていったのです*7
そのため、彼が任務に行くときや訓練をするときには、大抵動機として「女の子のために」がありました。ビビリキャラのまま物語に参加させるためには、「女の子」が必要不可欠だったのです。
象徴的なシーンが第70話です。音柱の宇髄さんが、自分の任務に連れて行く目的でアオイちゃんたちを強引に攫っていこうとします。そこで善逸が宇髄さんに向かって言ったセリフ(と擬音)がこちら。

善逸「アアアアアオイちゃんを放してもらおうか」ガクガクガク「たとえアンタが筋肉の化け物でも俺は一歩もひひひ引かないぜ」ガクガク

「ビビリだけど女の子のためなら仕方なく行動する」善逸のキャラクターが見事に表現されています。

こうして、善逸の固定化が進んでいったのです。

3. ギャップ

鬼になった兄弟子を斬りに行かなければならない善逸は、自分の意志で戦いに行き、「眠らずに」正々堂々と勝利します。

いつも他の人に助けてもらいたがる彼が、「これは絶対に俺がやらなきゃ駄目なんだ」と第136話で覚悟を決めたり、訓練からも逃げ出したがる彼が、自分が開発した新技で兄弟子を倒したり、といった表現でギャップを作っています。

4. キャラクターとして完成した

さて、じゃあここから先も善逸を描こうとするとどうなるでしょう?
善逸はビビリキャラなんだから逃げ出さないといけません。でも読者はこう思います。「お前やる時はやる男だろ?早く本気出せよ、イライラするなぁ。」
訓練もサボろうとします。でも読者は「その内結局訓練してまた新しい技作ったり、もっと強くなったりするんだろうなぁ。予想が付くから面白くないよ。」

善逸もキャラクターとして完成してしまったため、彼を使って読者の興味を惹くことはもうできないのです。

3. 竈門炭治郎 ~ヒーロー系キャラのお手本~

さて、だんだん「固定化とギャップ」もご理解いただけてきたのではないでしょうか。炭治郎も同様に描写されていますので、見ていきましょう。

1. 「弟・妹想いで頑張り屋」と示す

妹を人間に戻すため必死に訓練して鬼殺隊に入ることで表現しています。というかそもそも論をすると、第1話は「主人公はこういうヤツ宣言」を描くことが目的のお話ですから、「第1話を読んでください」って感じ。

2. そして固定化

禰豆子のことを常に気にかけているし、「長男だから我慢できたけど次男だったら我慢できなかった」とか言い出すし*8

3. ギャップ

煉獄さんが死んで、炭治郎がひどく落ち込むシーンです。善逸の言う通り、あのシーンは「炭治郎でも落ち込んだりだめかもしれないって思っちゃうことある」ということを表現したかったのです。

この記事を読んでいる人(想定)「なんだか、他のキャラクターと比べてギャップを描くのが早くないか?だって煉獄さんが死んだのって、20巻以上ある中の8巻だよ?ギャップを描いたら、キャラクターとして完成されちゃうんじゃないの?」

そうです。早いんです。吾峠先生はおそらく、わざと早めにギャップを描いていると思います。

別の基本として、「主人公は読者に共感されないといけない」が挙げられます。鬼滅の刃はこの基本にも忠実です。
炭治郎の場合、頑張り屋さんで好かれるんだけど、正直その「頑張り」っぷりがすごすぎて共感できない、という弱点があります。
共感できます?「頑張るのとか面倒くさい」みたいなこと言う善逸の方が共感できませんか?あんなに頑張れる炭治郎はすごいなぁとか思っちゃいます。
つまりこの、「ちょっとスゴすぎて共感できない」というのが、キャラクター「炭治郎」の弱点なのです。そこで、早めにギャップを描くことで、「炭治郎でも落ち込む」んだな、と読者との共感ポイントを作ったワケですね。

4. キャラクターとして完成した

さて、共感できるようになったのはいいけれど、キャラとして完成されちゃった。どうしよう?
でぇじょうぶだ。周りに未完成なヤツがいっぱいいる。

「魅力たっぷりなんだけど完成してしまって読者の興味は惹けない」炭治郎と、「わからない所が多すぎて(まだ)共感できないが興味はある」他のキャラとをぶつければいいのです。
つまり、読者に抱いてもらうのは「炭治郎に対する興味」ではないのです。「我々のよく知っている」炭治郎が、他のキャラクターにどう影響を及ぼしていくのか、に対する興味なのです。周りのキャラクターにいい影響を及ぼすことで、「我々のよく知っている」炭治郎が認められていく様を見るのは気持ちがいいですから、読者のみなさんの満足感にもつながります。
象徴的なシーンが、義勇さんが錆兎のことを話すシーン(第130~131話)ですね。義勇さんが落ち込みまくって陰鬱としたことばかり言っている。読者はこう思います。「炭治郎、オレはお前のことをよくわかっているぞ。お前はきっと義勇さんを励ますことができるはずだ、なんとかしてくれ頼む!」この期待に、炭治郎は見事に応えました。「さすがだ炭治郎、信じてたぜ!」

てなわけで、煉獄さんが死んでから(つまりキャラクター「炭治郎」が完成してしまってから)は、炭治郎と問題あるキャラクターとのやり取りを描く、の繰り返しなのです。

私はこれ、全部吾峠先生の計画通りなんだと思っています。以下、吾峠氏の思考回路に関する妄想(再び)。

  1. 炭治郎に対する共感を得るために、煉獄さんを使って炭治郎を落ち込ませよう(ギャップを描こう)
  2. でもギャップを描くと、もう炭治郎自体に対する興味が失われる
  3. ならば、問題あるキャラクターと炭治郎とをぶつけて、炭治郎がその「問題」をどう解決するか?に興味を持たせよう
  4. となると、ここから先は炭治郎だけではダメで、「問題」を抱えているキャラクターが何人か必要になる
  5. そして、問題を抱えたキャラと炭治郎とが同時に出てくるってことは、今後は味方勢力が必ず複数人になる
  6. じゃあ、敵の方もそれ相応に強くしないといけないな。よし、ここからは上弦ラッシュだ
  7. でも同期だけで上弦倒せたら強さの説得力に欠けるから、「問題を抱えているキャラ」の多くはメチャ強である柱にした方がいいだろう

…みたいな感じかどうかはわかりませんが、柱登場 → 煉獄さん死亡 → 問題を抱えた柱たち(時透くん・義勇さん・悲鳴嶼さん・etc)が炭治郎の影響で心を開く、というストーリー(第6巻ぐらいから第16巻ぐらいまで)の流れは、全て最初のころに構想したものだったのではないかと考えています。すごいや!

そして鬼滅の場合、この「問題あるキャラクター」を登場させるときにも1つ工夫を施していて……(脱線した内容なので脚注で)*9

他のキャラはどうなの?

今回取り上げていないキャラクターについても、同様に描写されています。みんなも考えてみてね!(正直疲れた)

結論

キャラクター表現に関する基本の1つを、私は勝手に「固定化とギャップ」と呼んでいます。

  1. どういうキャラか示す
  2. 1を繰り返し行うことで印象付ける(固定化)
  3. 正反対の面を一回だけ見せる(ギャップ)

鬼滅はこの基本にすげぇ忠実。基本に忠実に作られた面白い作品のことは一般に名作と呼ばれる。鬼滅は明らかに名作だし、作品としての完成度を優先させて連載終了したのは英断だと思う。

終わりに

このキャラクター表現は、鬼滅の刃だけに限った話ではなく、あらゆる「名作」で使われています。そしてそれを実現するためのフレームワークが「三幕構成」だったりするわけです*10*11。 (2021/03/23追記: 物語のフレームワークとして三幕構成が有効な理由を考察してみました。第三幕でギャップを描くわけです。興味あればどうぞ。)
特筆すべきは基本を忠実にやりきるための工夫です。「伊之助はイノシシ頭を外している間、画面的な"野生アピール"ができない → "食べ方が汚い"という特徴で、また別の面から野生アピールしよう」とか、解決策がうまいです。勉強になります。
読んでないヤツは読め~~~買え~~~

他作品の布教

他にもキャラクター表現の基本を守った名作がたくさんあるぜ!読めオラ!!あらすじは大体Wikipediaのパクリだ!

1. 寄生獣(作:岩明均先生)

  • あらすじ……謎の寄生生物ミギーと共生することになった高校生・泉新一の数奇な運命を描く。

そして寄生獣を読み終わった後、きっとあなたはこう思う。「ミギーと伊之助は同じキャラで、新一は(本質的に)善逸と同じだ」
同じ?どういうこと?ミギーはイノシシ頭被ってないよ?
ま、読めばわかるさ……

2. ピンポン(作:松本大洋先生)

  • あらすじ……卓球に魅了された5人の高校生による、才能を巡る青春を描く。

実写映画化にもアニメ化にも恵まれた稀有な作品。
ぶっちゃけ本作のコマ割りについて語るだけで夜を明かせる自信があるが、それはまた別のお話。
読み終わった後にあなたが言うことは2つ。「最初は絵が気持ち悪いと思ったけど、すげぇ面白かった。」「ペコは炭治郎と同じキャラで、スマイルとドラゴンが伊之助だ。チャイナは……なんだろう?」
チャイナは、本質的には善逸と同じだと思ってるけど、意見が割れそうだなとも感じている。あなたの意見を聞かせてほしい。

3. 魔人探偵脳噛ネウロ(作:松井優征先生)

  • あらすじ……謎を食糧とする魔人脳噛ネウロが女子高生桂木弥子と共に、究極の謎を探すためいくつもの事件を解決していく物語。

ネウロのすごさでも一本記事が書けそうだ。いや、もう他の人が書いてるか……
読み終わった?どうだった?「ネウロは伊之助で、弥子ちゃんは善逸かな?……あれ、もしかしてこれって……」そう、ネウロ寄生獣は同じ話なのです。

スペシャルサンクス

非常な努力と工夫でもって名作を生みだしてくださった吾峠呼世晴先生
校正してくださったPさん
まだ校正してもらってないけどこれから校正をお願いしようと思っている友人N
読んでくださったみなさん


(2021/03/23追記)

本記事に関するご質問などは、私が所属する個人事業所 浮曇想作所の質問箱に投げていただくのが一番気軽かなと思います。もちろん、ホームページに記載されているメールアドレスからコンタクトを取っていただいても構いません。
浮曇想作所を、今後ともよろしくお願い申し上げます。

文責: はんすおい
協力: 浮曇非路 (Special thx: ぶんちょう)

*1:このシーンで「母に抱かれる赤ん坊のころの伊之助」を描いたのは、伊之助も私たちと同じ人間なのだ、ということを表したかったからなのではないかと思っています。

*2:遊郭編の評価が今一つである理由の一つに、「伊之助のキャラクターを活かせなかった」があると思っています。あの話は状況的にイノシシ頭被れないし、潜入捜査やってるわけだから「猪突猛進」っぷりも発揮できないし。固定したキャラクターが揺らいでしまっているんですよね。戦いが始まってからは野生味爆発してていいんだけどね。他の任務とかに行ってて潜入捜査の時には不在 → 戦闘始まってから助っ人的に合流……とかでもよかったんじゃあないかなぁ~、なんて考えてます。批判的な意味ではなくて、自分がお話を作るときには気を付けようぐらいの感覚で。

*3:「素顔が美少年」はギャップというよりお約束だと思っています。これもある種の「基本」であり、「やっぱり鬼滅は基本に忠実な作品だなぁ」と実感させられます。
顔を隠して出てきたキャラが何の特徴もない普通の顔だったら、読者は肩透かしを食らってガッカリしてしまいます。そのため、「素顔公開」は

  1. 極端にブス(この場合は、読者に嫌悪感を持たれることを防ぐため、病気や事故のせいにして同情を買うことが多い。るろ剣のCCOがそう)
  2. 極端にイケメン(呪術の五条先生)、もしくは美女(ワンパンマンのサイコス/ギョロギョロ)

のどちらかしかあり得ません。鬼滅の場合、鬼という異形の存在が居るので、「極端にブス作戦」を取っても「鬼よりは顔がキレイ」になり、中途半端ですね。ゆえに素顔はイケメン/美女である必要があるのです。
「素顔は極端に」はお約束だし、鬼滅は設定の都合で「素顔がイケメン」しかできないので、結構あっさり顔出しするんですよね。「次週、伊之助の素顔が明らかに…?!」で引っ張ったりしないワケです。鋼鐵塚さんもそうだったでしょ、吾峠先生わかってやってらっしゃると思います。

*4:ましてやあいつスピードキャラだから簡単に逃げれちゃうしねぇ

*5:実体験として、こういうキャラクターって本当に動いてくれないんですよね。それはもう問題児ですワ(宝鐘マリン船長並感)。

*6:目に見えるのでそんな展開が描かれることはありませんでした。

*7:「女好きキャラ」に関する描写も多くありますが、これは「ビビリキャラ」の固定化を助けるために行っていると考えていて、あくまでキャラクター「善逸」のメインは「ビビリ」だと思います。「女好き」に対応するギャップが描かれていないからです。

*8:このセリフわけ分かんなくて好き

*9:鬼滅の特徴として、同期や柱(=主要キャラ)を最初に全員出す、が挙げられます。同期は入隊試験の際に、柱は柱合会議の際に、全員出てきますよね。これは本作のストーリー構造上絶対必要なことなのです。
対照的な例としてワンピースを挙げます。ワンピも同じような「キャラが完成してしまっている」問題を抱えているため、同様に「問題あるキャラクターによい影響を与える」ことの繰り返しで物語を進めています。ワンピの場合は、最初に「この物語はロードムービーです」と宣言しているようなものなので、新しい「問題あるキャラ」を次々出しても違和感がありません。
しかし、鬼滅でそれをやると引き伸ばしのように見えてしまいます。ワンピは旅先で出会った人との関係を描けばいいですが、鬼滅の場合は1つの組織の中で発生している人間関係を描くワケですから、あとから「実はこういう人が居て、」と描くのは後付け感がありますよね。そういう理由で、最初にキャラクターたちを提示しておく必要があったのです。

*10:三幕構成についてざっくりとでも知りたい人はこの動画を見ればいいと思うよ。

*11:三幕構成を知ると、「だから映画化は無限列車編なのか!」って納得できて面白いと思う、たぶん。

物語のフレームワークとして三幕構成が有効なのってどうしてさという話

はじめに

イイ感じのお話を手っ取り早く書きたいそこのあなた。
長いものには巻かれとけ、ということで、三幕構成を採用してみてはいかがでしょうか。
三幕構成をご存知ない方は、その目の前にある通信機器で検索してください。いっぱい情報が出てくるはずです。

しかし、なぜ三幕構成が有効なのかを解説しているページはそれほど多くないように思えます。
なぜ有効なのでしょうか。この疑問に答えるためには、「そもそも物語って何だろう?」ということを考える必要があります。

目次

物語とは何か?

これは非常に根源的な問いだと思います。この問いに対する答えは、人によって少しずつ違ってくるでしょうが、ここでは以下のように定義しておきます。

物語 = 変化
物語とは何らかの変化を描いたものなのです。その変化が正の向きならばそれは「喜劇」だとか「ハッピーエンド」だとかと呼ばれ、負の向きならば「悲劇」・「バッドエンド」と呼ばれるわけです。

例えば以下の物語は次のような変化を描いています。

  1. ケムリクサ
    • 【物語開始時点】主要人物たちは、アカムシと呼ばれる敵に襲われつつ、荒廃した世界で日々を送っている
    • 【物語終了時点】アカムシをなんとか打ち滅ぼし、豊かな自然に囲まれた世界での生活を送り始める
  2. 孤独のグルメ
    • 【物語開始時点】主人公は各話の開幕でいつもお腹をすかせている
    • 【物語終了時点】ふらりと立ち寄ったお店での食事に概ね満足して帰路につく
  3. 鬼滅の刃
    • 【物語開始時点】主人公は鬼に家族を虐殺された
    • 【物語終了時点】主人公たちは鬼を打ち滅ぼし、戦友たちとみんなで仲良く暮らす

あるいは、以下のような「人間関係の変化」も「物語」になります。

  • 初対面の男女が恋愛関係になる(ラブ・ストーリー)
  • 険悪な仲だった2人が、部活動を通じて親しくなる(スポ根)
  • 信頼していた人物に不信感を抱く(サスペンス)

とにかく、何かが変化したらそれは物語なのです。大衆受けしやすいのは正の変化ですが、負の変化も立派な物語です。
逆に言えば、何も変化しなければそれは物語とは呼べないでしょう。物理的・精神的問わず、必ず「何がどう変化したのか」に気を配りながらお話を作っていく必要があると思います。

物語 = 変化。この定義式が本記事の鍵となるのです。

なぜ人々は物語 = 変化を求めるのか

それは、ほとんどの人は「変化したい」と思っているからです。
多くの人は、「もっとこうなりたい」「もっとああなればいいのに」というような変化を求めています。「いっそどうにでもなってしまえ」というような破滅願望も、「変化欲求」の1つかもしれません。
そして、変化欲求を持ってはいるけれど、実際に変化することはなかなか難しくてできないのです。変化欲求とは厳密にいうと「変化後になりたい欲求」です。
変化前の状態は、満足はしていないかもしれませんがある種安定しているので、そのままでいる方が楽なんですよね。「変化後になりたいけど、変化の過程が不安定で大変だからこのままでいいや」と思ってしまうのです。
そのため、物語の中に変化を見出すことで、求めているけど実現できない「変化」を疑似体験しているのだと考えています。

三幕構成とは変化のモデルである

さて、前節で「変化」の流れについて軽く触れましたが、詳細に見ていきましょう。変化は次の3ステップで起こります。

  1. 変化前 (安定しているが、現状に満足していない)
  2. 変化中 (不安定で、すぐに対処しないといけない問題が発生する)
  3. 変化後 (現状に満足しているし、安定もしている)

具体例で見てみましょう。

  • 冒険譚
    1. 変化前 (故郷の村とかで平凡な日常を送っている)
    2. 変化中 (魔王的な存在が世界の平和を脅かし始めたので、そいつを打ち滅ぼすため冒険に出る)
    3. 変化後 (魔王をやっつけ、世界に平和が訪れる)
  • ダイエット
    1. 変化前 (特に不自由なく生活しているが、痩せたいなぁと何とな~く思っている)
    2. 変化中 (運動したり、食事制限をしたり)
    3. 変化後 (ダイエットに成功し、運動などが習慣付いたためリバウンドもしばらくはない)

このように、異世界RPG系の「変化」も日常的な「変化」も全て3ステップで起こるのです。

ん? 3ステップ? 3? どこかでこの数字を見たような気が……

あーッ、三幕構成も3だァーッ

はい。

そう。三幕構成とは、「変化」を抽象化して扱いやすくしたモデルなのです。
そして、物語 = 変化 の定義式があるため、三幕構成を物語のモデルとして使える。そういう関係なのです。

三幕構成で変化を描く

三幕構成の概要を説明してみます。詳しく知りたい人は適当にググってください。

  • 第一幕: 変化前の状態を描く
  • 第二幕: 変化の様子を描く
  • 第三幕: 変化後の状態を描く

三幕構成はこのようになっています。そしてここでいくつかのポイントがあります。

  1. 第一幕から第二幕へ移るきっかけとなる出来事が必要
    • 不安定な状態に移行するリスクを負ってでも変化せざるを得ない、のっぴきならない事態になる
    • 「きっかけとなる出来事」は、主人公の動機になる
    • これを三幕構成の専門用語で「第一プロットポイント(以下 PP1)」とかと言います
  2. 第二幕は途中までうまくいくが、あるタイミングで、主人公を挫折させるような事件が起こる
    • これを三幕構成の専門用語で「ミッドポイント(以下 MP)」とかと言います
    • MPで第二幕を2つに分けたものが「起承転結」です
  3. 第二幕から第三幕へ移るきっかけとなる出来事が必要
    • 「無事変化できました。めでたしめでたし」ということをお客さんに示す
    • これを三幕構成の専門用語で「第二プロットポイント(以下 PP2)」とかと言います

同様に具体例で見てみましょう。

  • 冒険譚
    • 第一幕: 故郷の村とかで平凡な日常を送っている
      • PP1: 親族が魔王に殺されるとか、恋人が攫われるとか
    • 第二幕: 魔王的な存在が世界の平和を脅かし始めたので、そいつを打ち滅ぼすため冒険に出る
      • MP: 相棒キャラが戦死するとか、魔王の側近に惨敗するとか
      • PP2: 主人公は挫折しかけるが、主人公故に再び立ち上がる
    • 第三幕: 魔王をやっつけ、世界に平和が訪れる
  • ダイエット
    • 第一幕: 特に不自由なく生活しているが、痩せたいなぁと何とな~く思っている
      • PP1: 異性に一目惚れをし、ダイエットを決意
    • 第二幕: 運動したり、食事制限をしたり
      • MP: 暴飲暴食の誘惑・停滞期による焦り
      • PP2: 自分を律し、一目惚れした異性への想いを強めながらダイエット続行
    • 第三幕: ダイエットに成功し、運動が習慣付いたためリバウンドもしばらくはない

世にある多くの物語も、日常にあふれている変化も、全て三幕構成で説明できそうですね。

総括

  • 物語とは変化である
  • 変化は3ステップである
  • そのため、物語も3ステップである
    • この「3ステップ」のことを業界用語で「三幕構成」と呼ぶ

終わりに

本記事の冒頭でも触れましたが、「三幕構成を使うとイイ物語を手っ取り早く書ける」という情報は巷に溢れていますが、なぜ三幕構成がストーリーメイキングに有効なのかを説明しているものは少ないように思えます。よくわからない道具をよくわからないながら使うよりも、こういう理由でこれは使えるんだ、ということを意識して使った方が効果が出るはずです(筋トレみたいなもんです)。その点で、この記事にはある程度の新規性・有用性があると考え、執筆しました。誰かの創作の助けになれば幸いです。
本記事に関するご質問などは、私が所属する個人事業所 浮曇想作所の質問箱に投げていただくのが一番気軽かなと思います。もちろん、ホームページに記載されているメールアドレスからコンタクトを取っていただいても構いません。
浮曇想作所を、今後ともよろしくお願い申し上げます。

文責: はんすおい
協力: 浮曇非路 (Special thx: ぶんちょう)

漫画の構成要素には「深さ」って概念があるんじゃあないかという話

はじめに

漫画は、多くの構成要素が複雑に絡み合う総合芸術であり、それが漫画の売りであると同時に難しいところでもあります。
なぜ難しいのか? それは、多くの構成要素が「複雑に絡み合って」いるからです。ならば、この構成要素たちを、何らかの評価軸に基づいて整理してやれば(絡み合っている糸をほぐしてやれば)、比較的容易に物語が作れるのではないでしょうか。

本記事は、漫画の構成要素群に「深さ」という概念を導入して、これを活用した創作手法を提案するものです。

目次

漫画の五大構成要素(浮曇非路の漫画観)

私(というか浮曇非路というか)は、次の5つが漫画を構成する要素の中で最も重要なものであると考えています。

  • キャラクター
  • 世界観
  • ストーリー
  • テーマ

*1

では、これら5大要素に「深さ」という概念を導入してみましょう。先の箇条書きにおいて、上に書いた要素は「浅い要素」であり、下に行けば行くほど「深い要素」であると考えています。つまり、絵が最も「浅い要素」で、テーマは最も「深い要素」なのです。
この「深さ」という概念は、「わかりにくさ」と言い換えてもよいと思います。作品を一目見てわかるのは絵とかキャラクターとかであり、ストーリーやテーマはきちんと読み込んでいかないとわからない、ということです。

このことを念頭に置いて、我々は何を意識して作品を作ればいいのか考えてみます。

「深さ」を意識した漫画の作り方

読者の皆さんは、読み始めは浅い要素に注目しがちですが、読み進めていくと深い要素に注目したくなってくるのです。

これは漫画以外のあらゆるものもそうですよね。例えば料理なら、最初は口に入れた時のインパクトを重視しますが、食べ進めていくに従って後味を気にするようになるでしょう。最初のインパクトだけを重視して作った食べ物は段々飽きられていったりもします。あるいは、人間関係もそうかもしれません。どんなに素晴らしい性格でも、見てくれが不潔だったら周囲から慕われないと思います。

つまり、漫画の「浅い要素」とは作品の「第一印象」なのです。一般に「掴み」と言われているような部分だと思います。物語の序盤は、美麗な絵や今までに見たことない特徴を持つキャラクターを読者の皆さんに提供して、「第一印象で魅せる」ことが重要です。そうしないと、どんなに素晴らしいストーリーラインがその後に待っていたとしても、"周囲から慕われる"作品にはならないのです。

そしてお話が進んでいくのに応じて、段々と「深い要素」を見せていくと良いでしょう。最初から最後まで絵とキャラクターだけで読者の皆さんを喜ばせようというのはなかなか難しいです。インパクトだけを重視した食べ物のように、飽きられていってしまいます。ですから、絵やキャラクターで読者の皆さんの興味を惹いてから、徐々に深い要素を開示していきましょう。

1. 絵

読切の表紙や連載第1話の見開きといった、所謂一枚絵で十分に読者の皆さんの興味を惹けるならばいいのですが、やっぱり難しいですよね。そこで、「絵」をもう少し広く捉えて、「シーン」も含めて考えてみましょう。つまり「"絵"になるシーンを入れましょう」ということです。

目を引く

絵や序盤のシーンは、作品の第0印象ともいえるものです。ここで読者の心をガッチリ掴めるように、物語の最序盤に目を引くシーンを入れると良いと思います。例えば

  • エロ・シーン
  • グロ・シーン
  • 現実ではあり得ないシーン

などです。エロやグロは、やっぱりついつい見てしまうものですから、手っ取り早く第0印象を読者の皆さんに植え付けたいのであれば、特に効果的だと思います。
3つ目の「現実ではあり得ないシーン」も良い手法です。「魔人探偵脳噛ネウロ」や「暗殺教室」の松井優征先生はこの手法の名人です。「魔人探偵脳噛ネウロ」の第1話では、地面と水平に(現実ではあり得ない姿勢で)立つネウロが何度も描かれます。「暗殺教室」の第1話はもっと極端で、1. 学校の先生がタコ型宇宙人のような造形、2. 朝のHRで生徒が先生に銃を向ける、といった「現実ではあり得ないシーン」から始まっています。

興味を惹く

第0印象の作り方には、「目を引く」の他に「興味を惹く」があります。この代表例が「リターン」です。物語の結論を先に描くことで、「どういうことなんだろう」、「どうしてこうなったんだろう」という興味を読者の皆さんに抱いてもらうのです。 「絵」からは少し外れますが、効果的な"掴み"の作り方、ということで紹介してみようと思います。

荒木飛呂彦先生の読切「武装ポーカー」は、「謎の老紳士が読者に話しかけてくる」という異質な始まり方をすることで、読者に興味を抱かせることに成功していると言えます。そしてこの老紳士のシーンが終わると、ぺこぱよろしく時を戻してから本編に入ります。この「時を戻す」部分が「リターン」なのです。

ゆるキャン△」(あfろ先生)のアニメ版は、野クル・リン・斉藤・グビ姉先生の面々が、仲良くクリスマスキャンプをしているシーンから始まります。そして時は戻り……「ソロキャン最高」を信条とする孤高のキャンプ・ガールである志摩リンが本格的に登場します。ここで視聴者の皆さんは、「あれ、さっきのメンバーは?」、「この子はみんなと一緒にキャンプしそうにないけどなぁ」、「一体何があってみんなとキャンプ行くことになったのだろう」と興味を抱き、1クール視聴したくなったのです。*2

長々と書きましたが、やっぱり手っ取り早いのは「エロ・グロ・リターン」だと思います。お試しあれ。

2. キャラクター

次に、登場するキャラクターがどういう人なのかを表現しましょう。

「この髪型いいな」、「この服装、かっこいいな、コスプレしてみたい」などと思ってもらえるようなキャラデザである必要があります。一般的な服で普通と違う着こなしをする(「ジョジョ」で顕著ですね)とか、特徴づけるアイテムを付与するとかがよくあるキャラデザ方法です。

キャラデザはキャラクターの外見ですが、キャラクターの内側の描写も同じぐらい重要です。
これについては、ブレイク・スナイダー氏の「SAVE THE CATの法則」に詳しいです。ぜひとも読んでみてほしい本ですが、ざっくりとこのSAVE THE CATの法則を説明しますと、「主人公のことを好きになるエピソードを序盤に入れよ」というテクニックです。例えばねこちゃんを助けるとか、盗んだパンを空腹な子供たちにあげる(「アラジン」)とか。そのキャラクターがどういう人なのか、シーンで見せるのです。作劇の基本は「語るな、見せろ」です。

キャラクターの良いところを見せ、読者の皆さんに我が子をできるだけ好きになってもらいましょう。

3. 世界観

ここまできたら、物語の世界観や設定を開示しましょう。読者の皆さんに、「自分が好きになれそうなこのキャラクターが、この世界でどういう活躍をするのだろう」と期待してもらうのです。

往々にして、自分が一生懸命に作った設定は全て開示したくなってしまうものですが、その欲求をぐっとこらえることが重要です。読者の皆さんは「物語」を見たいのであって、設定を見たいわけではないのです。

設定開示で重要なことは次の2つです。

  1. 語るな、見せろ
    • 「説明するな」と言い換えることもできます。
    • 黒澤明監督の言葉だったと記憶していますが、「説明しないと伝えられないものは、どうせ説明しても伝わらない」のです。
  2. 単位時間当たりの情報量を調整せよ
    • 漫画の場合は「1ページ当たりの」と言い換えることもできます。
    • 1ページに登場する新しい情報が多すぎると、お客さんは混乱してしまいます。適切なペースで開示していくことが重要です。

設定開示は必要ですが、やり過ぎるとお客さんが離れる要因となってしまいます。作家の腕の見せ所とも言えます。

4. ストーリー

お待たせしました。ストーリーを思う存分描ける時間が、ようやくやってきました。
その素敵な物語を、好きなだけ暴れさせましょう。

5. テーマ

最後に、物語のテーマに着地させましょう。テーマとは物語の結論なのです。

まとめてみます

  • 漫画の構成要素には深さという概念がある(仮定)
  • 物語の進行度合いに応じて、描く要素を段々深いものにしていくと、読者の皆さんの興味を惹き続けることができる。
    1. まず、目を引く・シーンを入れる。合言葉は「エロ・グロ・リターン」
    2. 次に、読者の皆さんになるべく好かれるようにキャラクターを描く。
    3. そこまで示せたら、その物語の世界観や設定を開示する。「どういう活躍をするのだろう」と期待してもらう
    4. 葛藤や成長といったストーリーを描くのはその後である。
    5. 最後にテーマを提示する。

【余談】作画領域と原作領域

さて、散々議論してきたこの「深さ」という概念ですが、これは作画・原作の分業制をとっている作家さんにも役立つ概念だと思います。浅い構成要素は作画担当の方の腕が試される、いわば「作画領域」とも呼べる要素で、反対に深い構成要素は「原作領域」と呼べます。
ただ、分業の場合特に注意すべきなのが、この分類はあくまでグラデーションである、ということです。絵やキャラクターに関して、原作は全く責任を負わなくてよいわけではありませんし、作画がストーリーやテーマに我関せずであるのはあまりよい状況とは言えないでしょう。自分の専門外の領域に関与するのはなかなか難しいところではありますが、合理的な議論を繰り返して、作品にかかわる人全員の能力が掛け算された作品を目指したいものです。

終わりに

キャラクター造形やストーリーテリングに関する指南書は巷に溢れていますが、それぞれの要素をどの順番で描くのかということに言及しているものは少ないように思えます。その点で、この記事にはある程度の新規性・有用性があると考え、執筆しました。誰かの創作の助けになれば幸いです。
本記事に関するご質問などは、私が所属する個人事業所 浮曇想作所の質問箱に投げていただくのが一番気軽かなと思います。もちろん、ホームページに記載されているメールアドレスからコンタクトを取っていただいても構いません。
浮曇想作所を、今後ともよろしくお願い申し上げます。

文責: はんすおい
協力: 浮曇非路 (Special thx: ぶんちょう)

*1:これら5大要素を表現するための道具・テクニックが「コマ割」「構図」「セリフ」等であると考えています。

*2:こういう始まり方をしたので、第1期の最終回はクリスマスキャンプ回でした。第1話の答え合わせといえます。あと関係ないけど2期楽しみ